なんか原作準拠では宮崎駿も押井守も生まれなかった
面白ければどちらでもいい
というツイートをこのタイミングで見かけたんだけど
いや、そういう問題ではないだろう
今回の問題はあくまで、約束を守るか否かの話でしかない
私が嫌いなアニメに、「ぱにぽにだっしゅ」ってのがあるんですよ
なんで嫌いかっていうと、私が原作厨だからで、原作と比べて大きな改変があったから。
だけど、それについて「私は嫌い」以上のことは言わないようにしてる。
原作者はこの改変を肯定しているように感じたから、
改変そのものを否定するのは、私のエゴ
常にそこに必要なのは、合意があるかどうかだと思っているのです
宮崎駿監督が何を改変したか、まぁいろいろ改変してきたと思うけど
その改変の結果原作者ともめたかどうかは寡聞にして知らないです
しいて言うならゲド戦記だけどあれは息子だし、改変自体は監督自身がやるのであれば了承していたようなエピソードだったと思う
押井守監督がビューティフルドリーマーが高橋留美子さんを激怒させたことは結構有名だと思う。私はこの映画を見たことがないので、内容の是非については言えないけど
是非については、「高橋留美子さんが断筆しなくてよかったね」としか言えん
高橋しんさんの「いいひと」みたいに、作者がそれをもって連載終了していれば
いかな名作だったとはいえ、今みたいに絶賛一辺倒ではなかったでしょうし
押井守監督の今の名声も果たしてどこまで、と思いますよ。
たまたま、彼にとってうまく回っただけで、自分を貫いて名作を作ったなんて美談にしてはいけないエピソードだと思っています
厳密にいえば、原作者の意にそぐわない実写化、アニメ化も悪いわけではないです
詐欺師を相手にしているようでしんどそうですが、「原作を壊すような真似をするな」
と書面でしたためなかった原作者側もわきが甘かった。という言い方はできます
ビジネスの世界でもありますよね、瑕疵を指摘しても
「完成検査をしたうえで納品しましたので」
といわれて終わること
今回の問題は、原作者の意にそぐわない改変があったことではなく
話の本質が変わるような改変をしないことを条件に原作の使用を許可したのに
話を重ねても改善の姿勢が見えなかった挙句
改善の要望を原作者が出し続けたことに対し、脚本家がSNSで苦言を呈したことにあると思うのです
繰り返しますが、原作者の意にそぐわない改変があったかどうかは究極的には問題ではない
作者があらかじめ提示した条件を「飲んだふり」をして好き放題やろうとしたこと、でしょう
漫画とドラマの脚本が分野の違う職業だということは原作者も把握していたので
原作者の用意した内容を脚本に落とし込める脚本家をキャスティングしてほしいといっている。
これができているのがまさに今公開している「ゴールデンカムイ」だと思うんですよね
漫画と映画は違う
私は原作未読なので具体的にどうとは言えないですが
原作再現度が高いといわれつつも実際のところ、結構原作と違うと聞きます
でも、原作者の意を汲める脚本家のおかげで、
「原作にこんなシーン合ったなぁと漫画読み返してみたらそんなシーンなかった」
なんて、脚本家冥利に尽きる珍現象が起きたりしている
原作者の提示する材料を調理できる脚本家を、と条件つけて
原作クラッシャー(良くも悪くも)で評判の脚本家をアサインし
そして、その脚本家が原作者が添削することに苦言を呈していることから
脚本家にその条件は伝わっていないと推測される
守秘義務がありそうな職業で普通に暴露する脚本家もだいぶ人間としてやばいけど
原作者にとって出版社が、脚本家にとってテレビ局が
それぞれスタッフを保護する努力を怠っている、”個人”よりも力のある”組織”が、個人をないがしろにしている図式が思いっきり見えてきて反吐が出るので
こうやって大きな問題になっていると思うんですよ
テレビ局は脚本家のうかつな行動を防ぐためにしっかりと説明をしないといけないのに怠った
出版社は原作者の出した条件が履行されていないことに対し、もっと強くテレビ局に出なければいけなかった
出版社の関与の具合については大小いろいろなうわさが出回っていてどれが正しいかわからない状態ですが、
少なくとも最大限原作者をフォローしていたという説であっても、テレビ局に対して仕立てに出すぎだろうと個人的には思います
そして、テレビ局も出版社も、取り返しがつかないことになっているのにあまりにも他人事なコメントを出していて辟易とします
特にテレビ局の「原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし」
というコメントには反吐が出る
本来条件を守っていれば”ご意見をいただき”ながら”話し合いを重ね”る必要はなかったのですよ
ご意見を多少いただくことはあっても、話し合いが重なっている時点で条件が守れていないわけで
最終的に許諾をいただけたって、それもう「万引きしたけど最終的にお金を払いました」
と何が違うんですか?っていう話です
このコメントが出せる日テレ本当にすごいと思う
引く
ただ、ちょっとツイッターでも呟いたんだけど
これ別にテレビ局だけの話でもないなと思うのです
これは「顧客が本当に必要だったもの」というシステム開発界隈ではそれなりに有名なイラストなのですが
大体の場合、「営業の表現・約束」は実際に実装するSEには事前の確認はとられていないです
テレビ局のパターンで言うと、プロデューサーは、制作に対応可能かどうか、確認背うに、”約束”をした
そして、この約束をSEに伝えずにシステム開発をさせている
ミーティングのたびに、顧客から細かい指摘を受けてSEは疲弊しているでしょうね
でも顧客も、できるといわれて契約しているのにできていないのだから、そりゃ切れます
そしてプロジェクトがグダグダになり、なんとか無理やりリリースした
みたいなひどい目にあったこと、私もあります
私の場合は自社ウェブサイトの委託でしたが
提案書を読み返してみたらグーグルアナリティクスでの分析結果をもとにした提案書を作成します
とあったのに(システムリリース後に部署に配属になったので私は経緯を知らない)2年近く提案書をもらったことがなかったので、実装、SEとの定例会で「この提案書はどの程度の頻度で提出することを想定しているのか?」と聞いたら
「そんな提案をしていたこと知りませんでした」
と驚愕の回答があったんです
スルーして導入した構築メンバーにも思うところはありましたが
まず提案書の内容を把握していないSEに唖然
そして、そのあたりの共有ができていない、おそらくする気もなかった営業にも頭が痛くなりました
そういった、言ったもん勝ち、契約したもん勝ち
動いてしまったら容易に軌道修正できないから
契約した側もSEも泣き寝入りしてなんとか形にしてお茶を濁す
(結局、脚本家がSNSで暴露しなければ、少なくともこの形で収まったのではと思うんですよね。良くも悪くも)
こういう商習慣そのものが、見直されるべきなのではないかと、個人的には思います