Let Life Loose

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【追記あり】原案を捨ててまで再起動する意義はあったのだろうか【スターウォーズシークエル感想】

(注・スカイウォーカーの夜明けのネタバレを含みます)

 

belphegor729.hatenablog.com

 

スターウォーズ続三部作(シークエルともいうらしいですね。)についてはとても複雑な感情を持っていて、それはそれで一度吐き出しているのですが

 

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 すべての原因は奥深い設定を要するスターウォーズユニバースのメインストリートとなる作品群を、明確なゴールを設定せずにスタートさせたことだと思います。

 

結果シークエルはその作りがあまりにも歪だったと思っているのですが

ルーカスフィルムのトップであるキャスリーンケネディのインタビューを読んで唖然としました。

 

本当にこんな考えで作られていたのだとしたら、とても悲しい。

例えば、

3部作を通じての統括監督を掲げない方針は、キャスリーン・ケネディに言わせればオリジナル3部作の踏襲だ。「つまり、ジョージ(・ルーカス)が毎回違う監督を起用していた、ということです。彼はプロデュース業に留めていました」と米io9に語っている。

と言ってますが、ストーリーを紡ぐうえで重要なのは監督と脚本だと思うんです。

 その点で言えば旧三部作は4をルーカス監督自身が、ローレンスカスダンという人物が脚本に携わっています。

 しかし、続三部作は3作すべて別の脚本家、EP8に至っては、ライアンジョンソン監督単独での脚本です。

 これではストーリーの連続性を期待できるわけもない。続編に監督や脚本家の意思が届かないのだから、作品をまたぐ伏線など期待できようはずもない。

 自分が作ったストーリーについて、次の監督がどう調理するか、座して待つほかないわけだ

感想記事でも触れた下記のインタビューでもその事についてJJエイブラムスはポジティブに語っていますが、ライアンジョンソンとの間で整合性を図っていないことがわかります。

受け取って、それに繋がるようシナリオを修正する。あるいは新たに書きおこす。

これはリレー小説ですか?そんな一方通行なやり取りでよかったのでしょうか…

 

 旧三部作が3作監督違ったうえで、ストーリーの連続性を保てていたのは、続編が確定していなかったであろう4を除き、一人の脚本家がかかわり続けていたからで、

 また、想像でしかないですがプロデューサーという形でジョージルーカス氏がハンドリングしていたからでしょう。

 

さらに唖然としたのは次の下り

 

「なぜ3部作全体の調子を『フォースの覚醒』の時点で固めなかったのか?」という質問に対しては「スター・ウォーズに、固められるものなんてありませんよ。無理ですもの」と回答。「可能性に満ちているから、何も先に決めてしまう必要なんてない。そんなことしたら、他の可能性や検討事項に触れられなくなっちゃうでしょう。

 

 

もうね。なんだろうね。悲しい。

打倒すべき敵がすでにあった旧三部作

悲劇が確定していた新三部作に対し

続三部作はすべてが白紙でした。

終わったはずのストーリーを、しかも原作者の原案を切り捨ててまで再起動するのであれば、何をゴールにするのか、せめてそれくらいはきめないとスタートしてはいけないのでは?

ケネディ氏のこの発言はかっこいいことを言っているようで、その実責任を放棄しているとしか思えないです。

 

可能性が充ち溢れすぎていたけど、その可能性をコントロールする人がおらず、ライアンジョンソンが「俺のスターウォーズ論」を8で振りかざした結果「船頭多くして船山に上る」

となったのが続三部作だったのではなかろうか。

可能性をコントロールできずに可能性に殺されましたね

 

下記の内容からもそれがうかがえるというか、ケネディ氏含む上層部は明確なラスボスを考えていなかったのかと愕然とします。

繰り返しになるけど、歴史あるコンテンツなんだから、もうちょっと煮詰めてからスタートしようよ。と思わずにいられません。

例えばさ、パルパティーンの復活と、カイロ・レン誕生の理由、ベン・ソロのライトサイドへの回帰あたりは監督同士で共通認識を持っておくべきだったとおもう。

正直、事前アナウンスがあったから受け入れている人もいるだけで、

もし事前アナウンスがなかったとして最初のロールで急にパルパティーンが復活したとか文字だけで語られて、すんなり受け入れられる?

 未来、シークエルを見たことない人が通しでこの3部作を見て、果たして評価されるだろうか。

 

おそらくは、ここで生じた可能性というもののひとつが、例えば『スカイウォーカーの夜明け』パルパティーンの再登場なのだろう。『フォースの覚醒』『最後のジェダイ』では実質的に言及されなかったこの暗黒卿の復活は、どうやらJ・J・エイブラムスが『スカイウォーカーの夜明け』監督に就任してから掘り起こされたアイデアらしいと思われたが、キャスリーンの一連の発言をもって合点がいく。 

 

 

別のインタビューでライアンジョンソンが似たようなことを語っているけれど、こちらはさらに無神経。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191220-00032733-rolling-ent

 

 

「聞いた話によると、一部のファンは、僕たちが行き当たりばったりでストーリーを作ってるんじゃないかって懸念を抱いてるらしい。意味がわからないよ。だって、そもそも物語って作り話じゃないか! 10年前に誰かがすべてをホワイトボードに書き出して、みんながそれを踏襲する、あるいはストーリーが展開するにつれて自然なやり方を見つけていく。いずれの場合も、過去のものを前進させて納得のいくエンディングへと導くために熟考しているんだ」

 

物語りが作り話だとして何なのだろうか。そこに必然性や納得感を付加させるのがストーリーテラーの腕の見せ所で、このような言い訳を雑誌ですることではないはず。

何よりも観客の反応が”意味が分からない”のであれば想像力が足りなさすぎる。

皮肉だとしても、この皮肉を言うことでファンがどういう反応をするのかについて、やはり”想像力”が足りなさすぎる。

そもそもこんな短いインタビューの前半と後半で矛盾している。

『過去のものを前進させて納得のいくエンディングへと導くために熟考』しているように見えないから『行き当たりばったりでストーリーを作ってるんじゃないかって懸念』しているわけで。

 やっぱり私この監督のこと好きになれないです。

 

 

同じディズニーでもマーベルという同じくらい可能性に満ちたコンテンツがあるけど

こちらはケヴィンファイギという一人のキーパーソンが己の責任の下でハンドリングすることでスターウォーズの倍以上もある作品群を関連付け、伏線を張り巡らせ、

結果、映画の長い歴史に、新しく「ユニバース」というジャンルを確立するに至りました。(まぁそのフォロワーたちがこと如く躓いてるけど・・・)

MCU上手かったんだな、と思うところは、例え違う監督で違うシリーズでも、必要に応じてポストクレジットシーンで次の監督に繋がるようなシーンをとらせてるところですよね。

  パルパティーン復活というか、スカイウォーカーの夜明け冒頭シーンは最後のジェダイのポストクレジットで流しておいた方がよかったんじゃなかろうか

 

でこのシークエルで一番気になるのが

JJエイブラムス監督のインタビューの締めくくり

 

 『スカイウォーカーの夜明け』に関しても批評家およびファンの意見は割れているが、エイブラムス監督は本作を嫌う人も満足してくれる人も「みな正しい」と語る。「7時間前に別の国で『どうやって皆を満足させるつもりなんですか?』と聞かれたんだけど、『何を言ってるんだ!?』と思った。どうしたらそんなことができる? 特に『スター・ウォーズ』で。僕たちは『スター・ウォーズ』をやり始めた時から、デザイン、音楽、ストーリーについて僕たちが下す全ての決定が、誰かを満足させるし、他の誰かを激怒させるとわかっていたんだよ」

 

誰も彼もを満足させることはできないことを免罪符に、誰を満足させたいか、ターゲットを明確にしていないのではないか。

 

  ライアンジョンソンの設定をなかったことにしていないといいつつ、その実影響を最小限にしており、

その方向性を支持した人から残念がられ

 

 

 

私のような懐古主義者は、8の時点で評価を固めてしまっていて、たかだか2時間程度の9でその評価は覆らないだろうと諦めてしまってる

 

こちらのメディアでは8肯定派と否定派両論掲載されているが9についての評価は変わらないところが切ないし、私の評価も相違ないです。

どうしてこんなことになったのだろう。すでに各所で原因は考察されているが、筆者もその多くと同じく、ルーカスフィルムが強力な舵取り役を据えないまま、新3部作を作品ごとに構想したことは大きな要因だと考えている。これによって新3部作は一貫したストーリーを獲得できず、それぞれの作品に美点はあるものの、全体的にはほぼ破綻した。スタジオ側の指揮を担ってきたキャスリーン・ケネディの責任は大きそうだ。

 

 

何だか、J・Jとライアンの当て付けがましい創作合戦を見せられた気分だ。ルーカスフィルムのキャスリーン・ケネディ社長は、作家性に委ねることで無限の可能性が生まれると信じて、あえて3部作の調子を固めずに製作を進めたという。今となっては、ディレクション能力または方式に難があったと言わざるを得ない。

JJがどんだけメディアで取り繕っても、頭ではそう思っていても、作品からにじみ出る思想の違いは隠せないんだよなぁ

 

3作を通してどちらを向いて仕事をするのか、監督に任せるのではなくて、

最初に決めて、それに沿う監督を選べばよかったのにな。

彼女の経歴から素晴らしいプロデューサーであることは間違いないと思うので、もっと三部作をハンドリングしてくれれば、と思わずにはいられないです

 

【追記】最後に

多分ね。どんな物語も可能性に満ちていると思うんだ。

ケネディ氏の言うような可能性であれば間違いなく。

物語を紡ぐって、そういう無限の可能性の中から、より良い選択肢を選んでいく作業だと思うんだ。

つまらない選択肢を排除していく作業だと思うんだ。

同じディズニーでもピクサーは複数のプランを持ち寄ってディスカッションしている。

ブレイントラストというらしい。

 

同じディズニーカンパニーなのになぁ

最初に三部作通してこれができていれば、少なくとも整合性がとれていないという批判はなかったろうにと思わずにはいれません


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