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映画、漫画、革のブログです

#ジョーカー2 にいまいち好意的になれないのはジョーカーに、あるいはDCに対するリスペクトが感じられないからだと思う

賛否両論といいつつ海外ではおおむね否の本作

SNS上では割と好意的な意見が多いかなぁという気はするのですが

あまりにも否定的な意見が多すぎて、判官びいきになっている面もあるのではとは思うのだけれども、

肯定意見はおおよそ2種類に分類されるとおもいます

 

一つは

前作のファンに冷や水を浴びせる内容が痛快だ、という内容

もう一つは

弱者男性の悲哀をよく描いている、という内容

 

さらに面白いのが、

前者は、ジョーカーはお前じゃない、アーサーは最初から最後まで惨めだったのだから、お前の境遇を肯定しない、という意見で

後者は、アーサーの生きづらさ、生き苦しさはフィクションではない、誰でもアーサーになりうる、という意見も散見されて

同じ映画見ているはずなのに、結構真逆の感想が出るんだなぁと思ったり

 

基本的には前作がフォロワー犯罪者を生むくらいの社会現象になったので

前作を否定する作品を作らねば、とメガホンをとったという、前者的な動機で作られている作品だというのは、パンフレットにも書かれているようなのですが


www.youtube.com

 

私の前回の感想の通り

ではなぜアーサーは、アーサーに失望した信奉者に刺殺され、刺殺した信奉者が

「俺が次のジョーカーだ」といわんばかりに高笑いをしていたのかがわからん

わからんのですよ

 

belphegor729.hatenablog.com

わからんっていうか、ちぐはぐですね。という感想

 

で、どちらにしても

DCコミックスでも屈指の人気ヴィラン「ジョーカー」を描いた作品としてどうなの?

という視点で見ている人で、肯定派はいないんじゃないか

と、ざっとネットサーフィンした感じでは思うんです

居てはいけないとかではなくて、ぱっと見見つからない

 

私は、ハーレイクイン参戦を前面に押し出して、しかもハービーデントまで引っ張り出しておいて

本作が何やりたかったって、「アーサーはジョーカーではない」なわけですよ

 

で、別に前作のジョーカーに心酔していたわけでもない人間としては

紹介したYouTubeでも語っていますが、

「そんなこと前作で散々語った内容じゃないか」

という話だし、

もっと言えば、その内容だったらジョーカーじゃなくてもいいんじゃないか

例えば、バットマンをイメージしながらもその名前を使わなかったバードマンのように

(いうてバードマン見てないのであまり偉そうなこといえないのですが…)

 

DCコンテンツのバリューを使わずに勝負すべきではなかったか

と思うんです

実際アイデア単体では企画が通らなかったのでジョーカーというコンテンツの力を借りた、という噂もありますし

 

それでも前作は、中盤から終盤にかけてアーサーが信用できない語り部であると判明したり

最後のシークエンスで、本作そのものが彼の嘘なのでは?と思わせるような仕掛けで

ジョーカーらしさ

のようなものを担保していたと思うのだけれども

本作は初手で「前作ラストで濁してみたけど前作は嘘ではありませーん。妄想でもありませーん」

ってやっちゃったから、その時点でもう、「じゃぁジョーカーじゃないじゃん」

という感想しかない

ジョーカーじゃないので

新解釈のハーレイクインも

ハーレークインじゃない人

でしかない

全然違うものに、名前だけ、フェイスペイントだけ拝借して

「はい!君たちの大好きなジョーカーの新作です!」

といわれても、そりゃ「こんなんジョーカーじゃないわ」と見捨てる人が大勢出るのもむべなるかなですよ

たとえ新解釈を目指したとしても

どこかにジョーカーらしさ、ハーレイクインらしさをちゃんと担保しておかないと

そこに志の低さを感じてしまうのですよ

ジョーカーの、ハーレイクインのキャラクター性を、なぜ人気があるのかを

理解したうえで作品を描いていますか?

彼らの人気に乗っかって作品を作っているんですよ

そこにリスペクトはありますか?

少なくとも私はリスペクトを感じられなかった

私には彼らが、ジョーカーにもハーレイクインにも見えなかった

たとえ最終的に、アーサーはジョーカーではない

という結論に帰結するのだとしても

見ている間は「アーサーはもしかしたらジョーカーなのかも。アーサーにはジョーカーがいるのかも」と思わせてくれよ

ジョーカーという別人格がいると信じている人作中のどこにもいないんだよ

弁護士はそういう風に認定されれば裁判に有利になるから言っているだけだし

ハーレイクインだって理想の人格を押し付けているだけで別にアーサーを見ているわけではない

誰もアーサーを見ていない、というのが作品のテーマなのはわかるけど

逆に言うと制作陣は誰もジョーカーを見ていないのですよ

ジョーカーなんていない、ということを言いた過ぎて前のめりになっている

(のにあの終わり方なんなの????)

ジョーカーというキャラのコンテンツ力におんぶにだっこなのにジョーカー否定した過ぎてたまらないオーラにじみ出てるのマジ失礼だろー

ジョーカーはいないって言いたいにしてももっとキャラクターにリスペクトを見せろよ

リスペクトを見せないことが本作の意義!

って思ってるんだったらジョーカーではない新しいキャラクターでやれよ!!

私は、「ジョーカー」が見たかったの、「アーサー」を見に来たわけではないのよ・・・

はじめっから「アーサー」ですって言ってくれれば、そのマインドで見るか、もしくははなから見ないですよ

 

ジョーカーは悪のカリスマ、何をしでかすのかわからないところが魅力

と思っている人間としては、ジョーカーはただの無敵の人、気弱な弱者男性

とかやられると解釈違いで拒否反応が半端ない

監督、制作陣も、本当に”あの”ジョーカーと同一キャラクターだと思って作っていますか?

いないでしょ?

そういう所が透けて見えるところが、私が必要以上に本作に拒否反応を起こしている遠因なのかなぁと

 

そもそも論として弱者がさらに虐げられる、救いのない映画

とか私別に好きなジャンルじゃないですしね

じゃぁ何をモチベーションに映画館に向かったかっていえば

別に期待したストーリーラインなんてないけど

ないからこそ

わざわざ続編を作るのだから予想もしないような驚きのストリーを用意してくれるのではないか、

という一抹の希望に期待したのですよ

結果としてこれでしたので失望しかない

そして、正直ここまでジョーカーとは食い違ったキャラクター像だと

たとえ傑作だったとしても、私はうけいれられなかっただろうな

とも思いますね