LetLifeLoose

映画、漫画、革のブログです

実写版 #ウィキッド が炎上しているみたいだけど、これ #ジョーカー2 と同じ問題が根底にあるんじゃないかね

洋画見に行くたびに予告が流れるんだけど

ミュージカルは見たことないのでどういう話かは知らないけれど

あえて主役に黒人俳優をキャスティングしているっていうことは

緑の肌による差別を黒人差別と重ねる意図がありありと感じられたので

まぁNot For Meやろうなと

そもそもスルーする気満々だったのだけれども

 

なんかキャストと原作ファンがもめているそうで

 

映画ポスターの”デザイン”に不満を持った原作ファンが、ポスターを原作風に改変して投稿したところ

主演キャストがガチギレして長文のお気持ち表明をしたと

曰く、

「今まで見てきたものの中で最も侮辱的」

「私を貶めている」

「元のポスターはイラスト」

「私たちは実在の人間で、目でコミュニケーションをとれる」

「映画ポスターはオマージュであって、模倣ではない」

「目を隠すことは、私を消すこと」

 

ということなんです

が、

どうですかね・・・

動画のサムネに原作に寄せて改変した画像もありますが

原作のポスターヴィジュアルはこちら

ミュージカル「ウィキッド」劇団四季版

ミュージカル「ウィキッド」劇団四季版

  • アーティスト:劇団四季
  • ユニバーサル ミュージック
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まず、映画ポスターが魅力的か?ということについて、

しかも、明確に原作のポスターヴィジュアルをベースにしていて

これは、完全に否だと思いますよ

 

ポスターというのは、それを見て、どういう作品化を想起させる、想像を掻き立てることを求められると思うのですが

この目は、何を訴えているんですかね

私には、目で演技をしているようには見えない。本当に読み取れない

これだったら、絶対に目を隠したほうがいい。口角を上げる必要すらない

目で演技できていない。目の演技をコントロールできておらず、

目が、語るべきでないことまで語っているように見える

何も考えていない、ということを

 

いや、本当にこの目は何を訴えているのですかね(2回目)

この目の演技を自画自賛できる女優の演技、これでOKを出した製作スタッフの感性が

普通に疑われるレベルです

「原作ポスターは絵です」

という批判は、あり得ないくらい頭が悪いし

「私は侮辱された」「目を消すことは私を消すこと」

という、もはや難癖としか言いようがない非難からは

原作に対する愛ではなく、自身のエゴがむき出しになって反応しているのだ

ということを明確に、それこそ目の演技以上に語ってしまっている

人間は目でコミュニケーションをとれるかもしれないけれども

この一連のお気持ち表明の中では、結局この人は言葉でしかコミュニケーションをとれないのではないか、という残念な印象を与えただけだと思いますね

 

そんな彼女を諫めるか、せめて無視すればいいのに、支持を表明し、連帯した監督も

同程度に支持を落とす結果になるんじゃないですかね

 

動画の中でも言われているけど、気に食わなかったからといって、リアクションの取り方があると思うんですよ

何もここまで強火で反応する必要がない

何が彼女の逆鱗に触れたのかわからないけれど、客商売なんだから、他の人に共感されない逆鱗ポイントはうまくコントロールされるべきだと思うんですよ

普通、ポスタービジュアルを改変したファンアートで、人格を否定するレベルでの激怒をされるなんて思わない

彼女のどこに逆鱗があるのか全く分からないのだから、もう完全に触れてはいけない

アンタッチャブルな女優として話題にされなくなっていくのではなかろうか

 

んでさ、この動画のコメント見ていて、凄く思ったのが

「これ、俺がジョーカー2に対して感じている不快感と同じだな」

っていうこと

 

belphegor729.hatenablog.com

 

トッド・フィリップス監督は

前作で形作られたジョーカー像を否定しようとするあまり

結果としてDCで連綿と積み上げられてきたジョーカー像そのものを侮辱しているつくりになってしまい、前作で勘違いしたファンだけでなく、旧来のDCコミックファンをも否定してしまった

それがこの低評価だし

なので、弱者男性の悲哀の物語として見れないほどではない作品だったとしても

私はジョーカー作品を見に行っているので、当然憤慨します

 


そもそもが、オリジナルの台本だと企画が通らなかったのでジョーカーというガワをかぶせただけなのが1作目、というのが本当なのであれば、ジョーカーに対する思い入れはもともとないんでしょうね

でも、だからこそ、そのままでは日の目を見ることがなかった脚本を引き上げてくれたジョーカーというIPに敬意を示してほしかったし

1作目で生まれた信奉者を否定しないといけない

という使命感で2を作ったのだとしても

安易にジョーカーという存在を貶める、簡単なニゲミチを通るのではなく

自身の名を高めてくれたジョーカーというIPに敬意を表するような、困難な脚本に挑戦すべきだった

それであれば、同じコケるにしても、チャレンジングだった、彼は挑戦した

という評価は少なくともついただろう

 

そして最後にこのコメントではっとしたんだけど



2に関しては、アーサーがジョーカーという影に翻弄された作品という作中の評価以上に

監督という『影』黒子がジョーカーというIPより前に出ている作品になっていたのではないか・・・

そういうふうに、監督の意図しない形で、あのアニメーションが皮肉になってしまっているような気がしてきた

 

なんにせよ、ジョーカーもウィキッドも、原作があっての本作だ

ということを、あー白雪姫もそうだよね

本当にハリウッドは原作軽視が激しいね

日本のアニメも一時期はそうだった気がするけど

そういうの作品の中にも透けて見えちゃうからさ

敬意を持つことを忘れてはいけないと思いますよ