監督インタビューで
ジョーカーはソフィーを殺していない。
という確定情報が出ました。
「アーサーとソフィーの関係は空想だったわけですが、“彼女は殺されたんですか?”と聞かれることがあります。トッド(・フィリップス監督)は、彼女は殺されなかったことを明らかにしています。アーサーが殺すのは、ある決まった形で、彼を不当に扱った人たち。ソフィーは決してアーサーを不当に扱ったわけではありません。」
私の過去記事で推察したことと近い内容だなーと思いまして
最後に、ジョーカーは意外と理性的に殺す相手を選んでいるな、と思いました。
狂気にとりつかれましたが、彼は、彼に悪意を向けた相手しか殺していないんですよね。
トーマスウェインは、彼に敵意を抱き殴りましたが、少なくともジョーカーは直接手を下していません。
何故母に冷たくするんだと訴えつつ、トーマスの方が正しいことに納得していたのではと個人的には思っていて、その敵意は理不尽ではないと思ったのかなぁと思っています。
折角なので、ちょっと今現在の私なりの「JOKER」という映画についての考察を改めてまとめてみようと思います。
そもそも「JOKER」は現実?妄想?
たぶん本作を語るうえで最初に意見が分かれるのはここかなと思います。
私は妄想派です。
理由は最後のシーンですね。
精神病院でのカウンセリングでカウンセラーが「何が面白いの?」
というようなこと”彼”を聞いたときに
ニヤッと笑って
「わかりっこないさ」
と答えます。
何が分かりっこないのか
もちろん、それは彼が考えたジョークです。
ジョークとは何か
それはJOKERという映画そのものです。
一人の男が、身も心もすり減らし、妄想に囚われて、ゴッサムという町を燃やす炎の種火となる。
しかし、この物語は多くの人間にとっては悲劇と受け取るでしょう。
本作の喜劇性は彼にとってのもの。
だから「わかりっこないさ」
とつぶやいたのです。
アーサーはJOKER?
これも私は否です。
彼は、群衆が作り上げた殺人ピエロの概念に乗っかって世の中に復讐したただの男です。
JOKERという概念はゴッサムに影響を残し続けるでしょうけど
アーサーという男はきっと忘れ去られます。
JOKERの行動原理は歓喜だと思うんです。
それをして面白いかどうか、
しかし最終的にアーサーを支配した感情は絶望を伴う虚だと思っていて
行動のモチベーションのベクトルが真逆なんですよね。
外見上同じようなことをしていても、中身が違う。
なので、彼はジョーカーをいつか演じきれなくなると思います。
そして、JOKERムーブメントはきっと弾圧されていき、JOKERという概念とともにアーサーも忘れられていき、例えば結騎さんの考察だと、くすぶったJOKERという概念が、よどみの中で一人の人間に集まっていき、ダークナイトのジョーカーを生み出すのかもしれません。
ただ、それだとエンドクレジット後の“彼”を説明しきれないので、やはり違うのかなと思います。
JOKERという世界は“彼”の妄想であり、そこで閉じてしまっている世界。
そして、アーサーと“彼”が明確に違う人間だと私は思っていて(なのでアーサーという人物ではあるのかもしれませんがあえて”彼”と記載しています)
その理由が最初に取り上げたインタビュー記事です
アーサーは根はやさしい人間です。それは、すべてを理解し、狂ってしまった後でも同じで
彼が殺したのは彼に悪意を持って接したもののみ。
しかし、“彼”がカウンセラーを殺したのであれば、
そして殺したうえであの晴れやかなステップで病院を駆け回ったのであれば
“彼”は「面白いから」という理由でカウンセラーを殺したのでしょう。
死体の血を足に塗りたくり、病院に赤い足跡を残したのでしょう。
それは、とてもJOKERらしい行動ですね。
やはりアーサーと“彼”は根っこが違い過ぎるので、
アーサーはJOKERではなく、
エンドクレジット後の“彼”もまた劇中のアーサーとは別の人物
というのが私の考察になります。
型月風に言うと起源が違うというか
過去記事で、ダークナイトとJOKERはつながらないと話をしたのに、
結構JOKERという概念がダークナイトに引っ張られている自覚はあるのですが、
ヒースジョーカーであれレトジョーカーであれ
「楽しいから」悪をなす姿勢は同じだと思うので
“彼”はJOKERであり、また「JOKER」という映画で“彼”だけがJOKERなのだと思います。
そして、”彼”であれば、ダークナイトのジョーカーとシームレスにつながっていく可能性もあるのかな、と思いますね。
まぁ、答えはいつか公表されるはずなので、楽しみに待ちたいと思います。
しかし、一つの映画で4本も記事を書くとはなぁ。
考察しがいのある映画は良い映画だと本当に思います。
1粒で二度おいしいですからね。