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【書評】陰謀の日本中世史

実は歴史が好きです。

という唐突な振りで
今回一冊の本をご紹介しようと思います。

 

 

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

 

 


 この方の本は、なぜベストセラーになったのか著者自身も理解できていない25万部のベストセラー
「応仁の乱」
の著者で、googleさんから書籍限定500円クーポンをもらったので、google books で購入しました。

 なかなか読み応えのある本でしたので、ぜひ紹介したいと思います。
  
 歴史というものがどれくらいあいまいなものなのか、みなさんご存じでしょうか。
 
 戦前のことについてどれくらい知ってます?
 祖父曰く、戦争直前は昭和維新といって、何か独特の空気感があったそうです。
 そのことを知っていらっしゃる人がどれくらいいますでしょうか。
 そして、それは所詮祖父からの伝聞。
 果たして本当に正しいのでしょうか?

 ちょっとこれはニッチな話でしたが、戦中戦後、今からせいぜい70年前の歴史ですら、様々な思惑のもと、正しい歴史の押し付け合いが起きています。
 
 さらに古い時代になると、どうでしょう。
 曰く、聖徳太子はいなかった。
 曰く、比叡山焼き討ちはなかった
 曰く、長篠の戦の鉄砲の三段構えはなかった

 私が学生時代に習ったことで、誤りとされたことがたくさんあります。NHK大河ドラマ真田丸はなじみのない定説、斬新な新設をふんだんに盛り込んでいて最高でした。策士真田正幸を小局的には正解を選んでいるのに大局的には負けが込んでいる行き当たりばったりな人物に描いたのは面白かった。

 最近裏切り者の代名詞といっても過言でない人たちが、実は裏切り者ではなかったと評価されているのも面白いですね。

 松永久秀然り、小早川秀秋然り、藤堂高虎然り
 え?知らない?ですよね。でもとても面白い人物なので、ウィキペディアだけでも見てみて!

 信長も、世間一般の評価と、史学での人物像が真逆になりつつあり、とても面白いです。
 私は新しい信長像好きですね。とても人間味があって。信長についてはまたどこかでがっつり語りたいくらい好きです。

 うう、調子に乗ってまたがっつり話をそらしてしまった。
 ちなみに知ってましたか。その織田信長を討った明智光秀の年齢に諸説あることを。諸説ある中でも、織田信長よりも年上である説が有力であることを。
  
 これはなぜかというと、当たり前の話なんですけど、資料がないんですね。ないんですよ。
 全国を統一的に支配し、監視をしている存在の不在。
 そして、現存する資料に作者の主観、作者の上位の存在への忖度、指示、そういったものの混じっていないものが少ない。とても少ない。
 これも当たり前です。
 歴史書は、勝者を正当化するためにあります。
 作者のお給料を払っているのはだれか。
 そこを考えると、上司の悪口は書きづらいですし、また、そもそも上司の悪事を隠蔽するために、その行為の正当性を作り出すために編纂されている可能性が否定できないのです。
 だって、ほら、真田十勇士とか、いるわけないじゃん。
 佐々木小次郎だっておらんねん。
 どちらも、真田幸村や、宮本武蔵をかっこよく描くために作られた存在です。
 さすがに真田十勇士は眉唾物ですけど、佐々木小次郎についてはいたかもしれないと思っていた時期もあるわけです。
 なんでか、文献がなさ過ぎて、小説ですら参考資料として歴史解明に使われてきたからですね。
 というか、小説なのか、歴史書なのか、その境目がない。
 江戸時代に書かれた戦国時代の書籍はもはやフィクションに近いもののはずが、歴史資料としてその内容に必要以上に価値があると考えられてしまう。
 ○○藩を起こした藩祖某の生涯なんて資料、藩祖を称え、○○藩の歴史的価値を付加させるためのものなのは間違いないのに、とはいえ全てうそではないはずだから、どこが嘘なのかで意見が食い違っていく。
 
 では正しい資料というのは何でしょうか。それは、当時の手紙、そして日記です。こういった資料をその時起きたことを直接示す資料として、一次資料として重きを置くべきと著者は本書で訴えています。
 当然これは現存するものが少ない。とても少ない。
 証拠隠滅のために手紙は捨てられたりしますし、まぁ手紙後生大事に残してるってなんだよ。という話もあります。


 まぁそういいつつも、関ヶ原の合戦の遠因となった、
 上杉家の重信直江兼続が家康に送った「直江状」というものは、上杉への仕置きを行う正当性を補強するための捏造だ、なんて話もあったりするのですが。
 また、手紙ですので、日付、特に何年かが抜けていることも多いそうで、発見された手紙の送られた順番を間違えるとそこでもまた歴史が変わってきてしまいます。

    日記だって、当時の庶民が書いたりはしないし、書いてあってもちゃんと保存できない。ある程度の身分がある、貴族階級の日記が残ってるかなぁといった感じで、また彼らも基本的に京都住まいで伝聞であることが多いので情報に不確定さがある。 そういった形で、歴史の解明というのはとても変数が多く、一筋縄ではいかないんですね。

 で、本書は乱立する諸説の中で、特に陰謀説が世間で広まっていくことに警鐘を鳴らしています。

 本能寺の変秀吉黒幕説、家康黒幕説、朝廷、はたまたイエズス会黒幕説
 関ケ原の合戦は石田三成を挙兵させるためにあえて家康が隙を作った。
 またマイナーなところでは、応仁の乱日野富子暗躍説など、歴史上の大イベントには必ずと言っていいほど陰謀が渦巻いています。

 が、それは歴史の結果を知っているものが後から見た時に無理やりつじつまを合わせているだけで、その当事者はたぶんそこまで考えてないよ。もしくは、全然立ち位置が違うよ。
 というのを、一次資料をベースに、または二次資料の矛盾を指摘しながら丁寧に説明しています。
 そもそも、陰謀論は、

世の流れを大きく変えるイベントには大きな動機があってほしい

という、何となく起きて何となく終わったなんてありえない。という思い込みがベースにあります。
 例えば、本能寺の変に関しては、「あの完全無欠の天才織田信長が、一介の家臣明智光秀ごときに暗殺されるはずがない」と思い込んでしまう。
 よくよく2人のことを調べてみると、別に信長冷徹でも完璧でもないし、明智光秀も一介の武将ではなく、織田軍の中でも大物の一人です。
 いやー来年の大河、真田丸と同じように今の定説を取り入れるようでとても楽しみです。織田信長も魔王ではないとか?魔王ではない信長像大好きなので期待大です。
 と、話を戻すと、織田信長が明智ごときに討たれるわけではないので「誰かに裏をかかれたに違いない」と思いたくなってしまうわけですね。
 その思い込みを元に、資料を都合よく解釈してしまう。
 動機があるから推理した結果も真実の歴史と相違ないと違いない、と考えてしまいがち、ということですね。
 

 小説家ではなく、説を紹介し、その根拠資料と反論を淡々と述べるだけのものなので、少し読みずらいところもあります(人のことは言えない)
 あと、歴史関係の書籍で共通の問題ですが、みんな親や権力者から1字もらうんで名前が似てるんですよね。

 浅井長政と浅野長政とかほんとやめてもらえませんかね・・・で、名字を省略して名前だけで書かれがちなのですが、それが誰なのかがわかりづらい。敵対しているのに名前が似ているとかしょっちゅうです。

 例えば、足利尊氏の尊の字は、のちに敵対する後醍醐天皇の本名から一字頂戴しています。出来れば常にフルネームで書いてほしいところ。

 しかし、根拠の薄い資料や、推理と変わらない考察によって陰謀論を仕立て上げる人たちへの怒りと、陰謀論に対する学会のスタンスへの警鐘が本書を書き上げるモチベーションだったのだろうなと思いつつ。

 歴史を論ずるとはこういうロジックの基に成り立っているのかという理解と、最新の歴史の説はこういったものがあるのかというのをお手軽に触れることができるので最新の研究に触れる一つの著作としてちょうどよいと思いますのでご興味ありましたら、手に取ってみてはいかがでしょう。

 

 

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

 

 

 

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)