Let Life Loose

映画と革製品についての紹介がメインのブログです!特に革靴についてはディープな情報をあげていきたいと思ってます

10年前 3月11日 金曜日

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私は今の職場に転職して10年目になる。


採用10年目休暇というのが有るのだけど、そもそも有給休暇を余らせている時点で使う予定もなくただ腐らせてしまいましたがそれはさておき

3.11 東日本大震災は採用された初年度の出来事なので、その意味でも忘れられない災害でした。

 

私は職場のインフラ部門だったのであまり関係なかったのですが、シーズン的にお客さんが多い時期だったのを覚えています。確か初日だったかな。
私の会社は10階建ての建物で、当時は1階に勤務していました。

 

のどかな午後、先輩が「なんか揺れてない?」とぼそっと言ったのが始まりでした。
周りの全員の頭に「?」が浮かんだその直後

 

経験したことのない揺れに襲われました。

 

ただ、正常性バイアスというのでしょうか。事の重大さを誰も理解できず職場で呆然としていると、上の階から

「ばかか!逃げろ」

と大声で怒鳴りながら降りてくるベテラン社員にはっと正気を取り戻し、避難場所に移動。

 

その後も地震は続き、揺れる建物を呆然と眺めていました。

ある程度地震が収まると、職場は非常事態モードに切り替え
先輩から「今日は帰れないと思うから、家が気になるなら一度見に行ってもいいぞ」
と気を聞かせてくださり(当時自転車で5分のところに住んでいた)
車が無事なこと、家財も鍋のふたが割れただけで済みました。

 

その後職場に戻り長い1日が始まりました

私はインフラ部門という関係上対策本部的なもののメンバーに新人ながらアサインされており、一晩中情報収集とその報告。また不幸なことに、部署にいるエース3人のうち2人が研修で東京に出張に出ており、少ない人数で仕事を回さないといけないのも、物理的にも心理的にも負荷が強かった。

それに、千葉県としては数10年ぶりの災害で情報収集と報告のシステム(Microsoft Office製品で作った簡単なもの)が機能せず、慌てて一からエクセルベースの簡単なものを作り直す始末。

 

また、私が住んでいた市原市は日本有数の石油化学コンビナートで
覚えている人ももしかしたらいるかもしれません
市内に工場を構えている石油精製企業のうち
コスモ石油の所有するタンクが揺れによってそれを支持する支柱が破損し
落下・大炎上しました。

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遠く離れた私の職場でも海岸が紅く明るく、煌々と光を放っているのがみえ
その光景は正に地獄の業火を想像させる異常なものでした。

 

たびたび襲ってくる余震と、深夜なのに明るい状況に
「私はここで死ぬんじゃないか」
と気が狂いそうでした。むしろ一周回ってちょっと落ち着いていたかもしれない。

 

あわただしい一日は翌日の7時頃に、何とか帰宅したエース2人に引き継ぐ形で終わりを告げました。

 

ちなみに自分でも頭おかしいなぁと思ってはいるのですが、
翌日もともと予定されていた大学の先輩の誕生日を祝う会が決行され
多分買えり電車止まるだろうなぁと思いつつ
私も半日仮眠をとった後に参加してきました。

まぁこの出来事を誰かに吐き出したい。という思いが強かったのは間違いなくありますね。
恐らく決行された理由もそれだと思う。
みんな思い思い、昨日の恐怖について語り合い、酒を飲んで流し

案の定千葉駅から先、内房線が止まり、2時間以上かけて歩いて家に帰りました💦

 

休日が明け月曜日からも非常事態は続く
コスモ石油の火災は安易に消化しようとすると残っている可燃性の物質が爆発するかもということで、海から水をかけて火の勢いを制御しつつ、燃え尽きるまで様子見という噂
結局1週間燃え続けました。
コスモ石油はこの時の莫大な損失に長いこと苦しんでいるとも聞きます。

 

仕事も1か月は休みなし
東電の計画停電に対応するために業務サーバーのシャットダウンの流れを確認したり、通常業務がセーブされ、その上に災害対応の業務が上乗せされた感じ。

またエース3人のうち2人が東北に被災地応援に志願し(私は3人も出せないと上から止められました)それぞれ時期をずらして1か月ずつ現場のほうで業務をされていたりしました。

 

いつ日常が戻るのかわからず苦しい毎日でした。
仕事の内容以上に、平常時でないということがメンタルを圧迫して、そんな時
本当はもっと華々しくデビューを飾るはずだった
九州新幹線のCMはそのまばゆいばかりのポジティブさに元気を頂き、

 

また、作られたのはだいぶ後ですのでオンルタイムの話ではないですが敬愛する菅野よう子さんが作曲し、この世界の片隅にの片渕監督こうの文代キャラクターデザインでPVが作成された災害復興支援ソング「花は咲く」にも元気をもらいました。

 

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私は震災前の職場は1年しか知らないですが、それでもあの日を境に変わったんだなということはひしひしと感じます。

また、前の職場は栃木だったのですが、千葉と同様忘れられがちですが北関東も被害が大きく、前の職場の同僚から教えてもらった話ですが、震災時に折り畳みの机に隠れてしまったせいで、崩れてきた壁に机ごと押しつぶされて亡くなった方もいたそう。

 

 

私が同じ立場だったらどうだろうか、同じことをしていたのではないか

災害への備え、知識の習得の重要さを改めて感じずにはいられませんでした。

あれから良くも悪くも変わりました。変わったおかげで2年前の台風も乗り切ることができた気がします。

大きな災害もいつかは風化していきますが、自分が生きている間はこの経験を忘れず、生かしていかないといけない。そうでないとなんであの時苦しい思いをしたのかわからない。

そういう思いで向こう10年も頑張っていかないといけないなと思っています。