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『トイ・ストーリー4』を今さら初鑑賞|賛否両論の理由と、私が受け入れられなかったポイント

トイ・ストーリー5のファーストトレーラーが公開されましたね

 

案の定「ウッディ、なんでボニーの家におるねん」の大合唱が起きていますが……公開まで半年以上ある今、ずっと避けていた『トイ・ストーリー4』をついに初視聴しました。

シリーズの評価を大きく割ったという悪名高い一作。非の意見にうなずける部分が多く、当時足が向かなかったのですが、5へ続く可能性を考えると、今こそ観ておくべきだと思ったのです。

 

 

最初に:なぜ『トイ・ストーリー4』は賛否が割れたのか

公開当時から、ファンの間では「トイストーリーにしては珍しく意見が割れる」という話をよく聞いた。
評価をざっくりまとめると、

  • ウッディの選択が受け入れられない
  • キャラクターが別人のようだ
  • 世界観・設定が壊れている
  • 結末がシリーズのテーマと噛み合わない

核心は「積み重ねた物語への裏切り」だったんだろうと思います。私も観終わってその感想に落ち着きました。

 

ボーピープの改変について

ボーピープ、本作で最も批判の多いキャラクターの一人だと思います。

ただ、正直トイストーリー4を飛ばしてしまったせいで、シリーズに触れていない期間がそれなりに長く、キャラクターの性格等をしっかりと覚えていたわけではないです。

なので、ボーピープの性格改変については、違和感を覚えるほど元の性格を覚えておらず、まぁこれはこれで、とみている間は思っていました。

・・・もちろん。元の性格を知れば、この改変に意味を持たせないのは努力不足だな、と思いましたが。

彼女は淑女から一転、腕が取れてもテープで修復するワイルド系ヒロインに。強い女性像を叩き込んだだけに見えてしまい、そこへ至る心の変遷が描かれていない。

ウッディを突き放したのにラストで助ける展開も、“気持ちの変化”が不在のまま結果だけ置かれている。

この「過程がない変化」、近年のハリウッド脚本の弱点そのものだと感じてしまいます。

こういう映画非常に多い、マダム・ウェブとかね

 

ウッディの決断は飲み込めなかった

一番の問題はこれ。

ウッディが自分の意志で持ち主を離れる——これは1〜3で積み重ねてきた「子供とおもちゃの絆」を根本から否定する行為だと私は受け取りました。

なのに、そのウッディの行動の理由が、説得力を持つ形で描かれていない。感情の積み上げがないのに結論だけ提示されると、物語の根が抜けてしまう。

私は、変化には理由がないといけない。変化の中にある理由こそが、物語を面白くする要素だと思っているので

こうも変化が唐突だと、シナリオライターの技量を疑ってしまいますね。

 

バズの“代弁”も引っかかる

そして、ウッディの決断を後押しした

バズの「ボニーなら大丈夫」という発言。

ここも私違和感が凄くて

なんでボニーの気持ちをバズが代弁しているんですか?

どうしてボニーの気持ちをわかってるんですか?

このセリフをバズに言わせるのであれば、ボニーがウッディのことをどう思っているかをバズが聞いているシーンがないといけないと思うんだけど、ありました?私が見逃してるだけ?

それに、本当にボニーはウッディが居なくなっても悲しまない?

フォーキーがいないだけであれだけ取り乱したのに?

それって逆説的に、ボニーはウッディに思い入れがないってことになりませんか?

ボニーがウッディを大切な友達だと思っていて、その上でウッディがなくなっても大丈夫なんてシチュエーションは存在しないはず。

これはトイストーリーシリーズの根幹を揺るがす残酷な問題だと思うんだ・・・

 

トイストーリーの魔法が薄れてしまった

イストーリーの最大の魅力は、
「人間の見ていないところで、おもちゃたちの生活がある」
という子供心にわくわくするようなコンセプトだったと思っているんです。

 

ただ、シリーズを重ねるにつれ、映像がきれいになり、アクションも派手になり

徐々にその傾向が見え隠れし始めていたんだけど

※改めてトイストーリー3見直したんですが全然そんなことなかったです。ごめんなさい

4は特に顕著に、人間の至近距離で動きすぎる。

お祭りの中で疾走するおもちゃ。おもちゃやの中で人の目を盗んで暴れまわるおもちゃ。

挙句の果てには、タイヤをパンクさせるわ、車を勝手に動かすわとやりたい放題のおもちゃたち。

これでは本末転倒で

見えてないところで遊んでいるおもちゃ

から

おもちゃたちがどんだけ暴れても何も気づかない鈍感な人間たち

になってしまっていて、ワクワクより違和感が勝ってしまった。

 

唯一美しく輝いたギャビー・ギャビーの物語

そんな中でも、ひとつだけ心に強く残ったシーンがある。
それがギャビー・ギャビーのラスト。

壊れていたせいで誰にも愛されず、直してもなお愛されなかった彼女。
そんな彼女にウッディが寄り添い、そして、一緒にボニーのおもちゃになろうとしたときに、ふと見つけた迷子の少女。そこに自分と同じ影を見たギャビーに、
「愛されるのを待つんじゃない。
おもちゃだって、“この子のためになりたい”と思っていいんだ(意訳)」
という気づきが生まれ、それをウッディが肩を押す。

彼女は自分の心のままに“見守りたい子”の元へと歩き出す。

ここだけは、本当に静かで美しい余韻があって、ちょっとぐっと来ました。

 

が、手放しでは褒められず・・・作品のほころびも感じる

ただ、ただね。とはいえおもちゃが持ち主を選ぶってやっぱりおかしいんですよ。

この世界の倫理観どうなってんねんって話なんですよ。

所有権という問題がないがしろにされている。

通常の倫理観ではギャビー・ギャビーはおもちゃ屋の売り物であり、遺失物なんですよ。

本来落とし物センターに届けないといけないおもちゃをそのまま持って帰るのは冷静に考えるとダメでしょう。

また、作中ではコメディとして処理されているけど、中盤、的屋に拾われたバズライトイヤーが射的の景品にされるのだって同じで、倫理観どうなってるの?

と、楽しめていれば気にならないところが全部主張を始めてきてもう駄目でした。

それともアメリカってこんな感じなんですかね…?

 

最後に:トイストーリー5の期待と不安

4単体なら悪くない。けれどシリーズ作としては問題が大きい——これが率直な感想です。

 

そして5の問題点は明白。

ウッディがなぜバズと再び一緒にいるのか。その理由を描けるか。

冒頭でさらっと片付ける雑な処理だけは、ほんとうにやめてほしい…。スターウォーズ続三部作の前科が脳裏をよぎるのです。

 

おもちゃ vs タブレットという構図も、安易な「やっぱりおもちゃが一番!」に落とさず、現実に寄り添った答えを見せてほしい。うちの子たちはタブレットもおもちゃも、どっちも同じくらい大好きだから。

不安と期待が半々。これからの続報をおだやかに待とうと思います。

 

 

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