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映画、漫画、革のブログです

織田信長、好きなんです。

ポスターの信長悪い顔してるなぁ😅


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ただ、一話で比叡山の俗物っぷりを描いていたので、信長のみが悪逆であると言う描かれ方はなさそうですね。

ついでに光秀よりも若そうなのもGood!

上下関係からか光秀を若く描く作品多いですからね・・・

 

前の記事でも書きましたが

革新的

冷徹

仏教の敵

と言うイメージとは裏腹に、最近の研究から私の感じるイメージは

 

伝統を重んじ

部下思いの武将でして。

 

実力主義なのは旧来のイメージと同じですけどね。

 

なんかいろいろと情報集めてると結構な愛されキャラなんですよ。

ちょっとそんな最新の信長の魅力について語ってみたいと思います。

 

目次

 

 

信長は意外と保守的?

曰く、足利将軍家を排し自分が将軍になろうとした

曰く、天皇に成り代わろうとした

 

信長の覇道について色々と過激な内容が多い気がしますが

多分その原因を集約すると3つかなと思っていて

 

1つは

天下布武

 

1つは

足利義昭の追放

 

最後は

豊臣徳川が天下を狙ったのだから織田が狙わない訳がないと言うバイアス

 

なのかなと思うんです。

でもそこにも異議があって

 

 

まずは天下布武ですが、

 

今我々が考える天下と当時の天下では範囲が違う、と言う説があります。

 

 

戦国時代の「天下」とは室町将軍および幕府政治のことを指し、地域を意味する場合は京都を中心とした五畿内とその近辺を指すと考えられている。

 

岐阜を手中に納めた頃から天下布武と言う印を使い始めますが、そのころはすでに、天下はすぐそこにあるわけです。

 

また、布武についても、武力によって統治を行う、と言う風に考えられていますが

 

武は中国古典にある七徳の武

(武を用いて、暴を禁じ、戦を止め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊にする、の七つの徳を実現するもの)

を指すものと言う説が主流だそうです。

 

つまり、全国を統一するのではなく

応仁の乱で荒れた近畿、そして足利将軍家を建て直し、応仁の乱以前の政治機構を取り戻すことが目的だったと考えられるのです。

同様に、大名の隆盛と応仁の乱による混乱で荘園の取り立て能力を失い貧困の極みにあった天皇家財政の建て直しを積極的に行ったのも信長で、彼の献金によって当時の天皇の行事をつつがなく執り行うことができた、と言う話もあります。

天皇の権力を手中に納めたかったと言うのもあるかもしれません。

しかし、その権力は地に落ちていますので、利用価値を取り戻すための苦労もまた多く、正直私はwin-win立ったんじゃない?

と言う気がします。

ちょっとアイドルプロデュースに似ているかも?と言うと流石に不敬か💦

 

そもそも足利義昭が将軍への野望をもち全国の武将に声をかけたときに、その呼び掛けに答えたのは後の信長包囲網に参加した武田信玄たちではなくただ一人信長なわけなのです。信長本人にどの様な野心があったかはさておき、信長包囲網に参加した武将たちは足利将軍家に対する義によって加わったのではなく、それぞれの思惑で参加しただけの信長と同等の存在だと思うんです。

 

朝廷と将軍家、この二件どちらをとっても信長の志向としては新しい秩序を築くのではなく旧来の秩序を回復することだといてます。

めっちゃ保守的じゃない?

 

で、足利義昭追放ですが、

 

これは私は信長にとって想定外だと思います。

新しい秩序を構築する志向がないとすると、やはり旧来の仕組みのなかで上手くやる、恐らく鎌倉時代の執権北条氏のような立ち位置を狙っていたと思うんですね(これは私の想像)

室町幕府も細川氏や畠山氏がつくことの多かった管領と言うポジションがありますが

で、何故信長が足利義昭を追放するに至ったかと言うと

もう純粋に義昭が増長したからです

 

定説だと、将軍として権力をふるいたい義昭と、天下布武を掲げ自身で権力を持とうとした信長で衝突が起こり、信長が殿中御掟によって義昭の権力を制限しようとしたために

両者の関係が決裂したことになっています。

 

 しかし実際は殿中御掟を突きつける前に、

17箇条の意見書

というものを突き付けています。

 

 

内容は上記リンクを見ていただきたいと思うのですが、

まぁ平たく言うと、

「義昭さんちゃんと仕事してもらえませんかね」

というお叱りです。

 

信長が義昭を挑発した。という風に受け取る人いるようですが

内容をそのまま受け取ると、この程度のことを注意しないといけないくらい

義昭の仕事っぷりがひどく、怒りを通り越してあきれているのではないかと思ったりします。

面白いので本当に読んでほしい。

そのうえで殿中御掟が発行されたことを考えると

もう純粋にこいつに仕事任せてると天下泰平は遠いと見限られただけなんじゃない?

とちょっと信長に同情してしまいます。

 

そもそも室町幕府ってその成り立ちから将軍の権力が弱く、基本的には有力な大名の庇護下でその武力を後ろ盾に政治を行っている場合が多いです。

そして、そのような状況から脱却をしようとして幾度となく失敗しているイメージ。

要するに、将軍をないがしろにしていたのは織田信長だけではなく、

革新的な行動でもないということですね。

 

ほいで切れて信長討つべしーって、

逆恨みか!

って思うんです。

信長包囲網に参加した大名たちも

義によって助太刀いたす的な奴ではなく、最初に書いた通り、

織田信長に敵対する大義名分が欲しかったとか、

先に包囲網に参加した大名との関係性の中でそうせざるを得なかったとか

そもそも信長に敵対していたとか

そういう勢力の寄り合いでしかないわけですよね。

戦国時代にはよくある話でしかないかと。

 

 

 

信長は仏教が嫌い?

 

さっきも書きましたが、 今までの信長像って旧来の権力を否定し新しい秩序をつくろうとする傾向があったと思うんです。

 

その一つとして仏教と対立したイメージがありますが、

その象徴的な出来事は比叡山焼き討ち事件かと思います。

 

では、比叡山は本当に焼き討ちされたのでしょうか?

実は事件の存在そのものの実在が怪しいんですね。

 

もっと言うと、比叡山自体が権力争いの中で幾度か自身で焼いていたり。

また、女子供まで虐殺した!

なんてありますが、仏教施設に何で女子供がおるねん。

女人禁制じゃなかったんかい!と突っ込まずにいられない。

 

結局、信長の死後その影響力を回復させた比叡山が信長を悪しように書き残しているだけだと思うんです。

 

ではなぜ比叡山と対立したかと言えば、土地を持ち、土地の支配権を有しているのであれば、もはやそれは大名と同等の勢力だと思うのですよね。

それが信長の敵対勢力と結びついたのであれば、比叡山も同様に敵対するのも当然かなと思うんですよね。

また、大河「麒麟がくる」1話で少し描かれましたが、比叡山を含む寺社勢力はその強固な集金システムを利用して、金融業としての側面を持ち始めます。

過激な言い方をすれば、あの世の平穏を金で売り、売ったお金で貴族や大名たちに高利貸しをするわけです。

信長の敵対勢力と協力体制を結んだのも、宗教的側面ではなく利害関係ですので

まぁ清廉潔白な組織ではなかったのは確かだと思いますね。

 

信長は一向一揆にも悩まされていますが、それは信長だけの話ではないです。

 

実際、本能寺を始め、信長と友好的な寺社勢力もありましたので、

ちょっとイメージが先行しすぎてるかなという感じがあります。

仏教もキリスト教も同じテーブルの上で評価をしていたのかなと思いますね。

 

信長は冷徹?

やたら部下に裏切られたり

比叡山の焼き討ちだったり、

裏切った浅井長政のしゃれこうべで盃をつくったり

 

信長やベーやつだなってエピソードには事欠かないのですが

それぞれ詳しく見ていくと結構あれ?ってなることが多いんです。

比叡山の焼き討ちについてはもう書きましたね。

ちなみに比叡山の焼き討ちを明智光秀が咎めたなんて話も多く、

信心深い光秀に比叡山を焼き討ちさせた(やりたくないことをやらされた)恨みで本能寺の変を画策したなんて説もありますが

何だったら光秀の方がノリノリだったという話もあったり。

 

浅井長政のしゃれこうべの盃に関しては、一次資料には記載がないそうなので、

脚色された可能性は高いです。

下記リンクによると、江戸時代中期に書かれた「浅井三代記」に依るそうなので、

信長を悪く見せるための創作とみてよいと思います。

 

 

 裏切られエピソードが多すぎて、裏切られる信長にも問題があるのではないか?

と思っちゃうところもあったりしますが、裏切られた後の信長のリアクションが面白くて

例えば織田信長を裏切った筆頭 浅井長政に対して

伝令からの浅井長政謀反の報告を

「いや、長政が裏切るはずがない!」と何度も突っぱねるんですねw

義弟めっちゃ信用してますやんw

 

 

はじめ信長は「虚説たるべき」(『信長公記』)と述べとりあわなかったが、次々に入る知らせに事実と認めざるをえなくなり、撤退を決意した。

 

 

裏切った長政にも何度も降伏するよう使者を出したそうで、結構裏切った相手に寛容です。

 

ちなみに裏切ったけど部下のポジションに戻れた人筆頭があの柴田勝家だったりします。

家督争いの時に弟側についたんですね。

その弟こそ処刑されましたが(FGOで大人気のノブカツくんです)


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信勝の子供は助命され、長じてのちは織田信長の有能な部下として厚遇されていたそうです。

ノッブ優しい。

 

ただ、私が一番好きな信長エピソードは別にあって

それは、旦那の女癖が悪いと秀吉のおくさんのねねが信長訴えたことがあるんですって(それはそれで凄いよね💦)

それに対する信長の手紙が現代に残っているのですが

まぁ気配りの塊なんですよ

詳細はリンクを見てもらうとして、

まずはこの前会えて嬉しかったよと雑談でお礼を言い、

その時のお土産のお返しをしたいけどもらったものが素晴らしすぎるので

お返しは手渡ししたいという

 

なんという KI・KU・BA・RI!

 

そのあと美人になったね、あの旦那にはもったいない奥さんだよと褒めちぎり

だから大名の奥さんらしくどっしり構えて動じてはいけないよと

相談の件については直接秀吉を非難することはない

 

が、最後にこの手紙を旦那に見せておいて、と一言添えることで

「今のところは特に何か言うつもりはないけど 知ってるからね

と秀吉にくぎを刺す。

 

 

 

なんてすきがない文章なんだろう。

あとねねに対して優しすぎません?

凄いほっこりしたんですよね

このほっこり、伝わってほしい。

 

長くなったので、そういうエピソードがあるくらいで済ませようとは思うのですが

信長が冷酷と言われるエピソードの一つに、親の代から使えている武将を引退させた事件があるんですけど、

その引退するよう指示した文章をよく見ると、

「できないのは仕方がないけどなぜ相談しない??」

みたいな内容で、なんだったら

 

「お前まじ今ほんとやばいから頑張れよ。頑張るかやめるかの二択だよ?」

 

って発破かけたはずなのに選んじゃいけないほうを選ばれちゃった感じ。

 

 

こうやってみると、やらかした人にも1度はリベンジのチャンスを与えてると思うんですよね。

 

 

 

 

 最後に

 

織田信長について語るときに、また歴史を見直したときにむつかしいなと思うのが

起きた事実については私たちはある程度知ることができますが、なぜそうなったかについては わからないことです。

 

例えば、良好な関係の寺社勢力もあったという話をしましたが、

圧力をかけた結果だという立場を取られてしまうと見え方も逆になりましょう。

また、信長なら圧力をかけるに違いない、というバイアスもかかってきます。

義昭に対する態度もそうですね。

17条の意見書、という文章で義昭の行動に問題があるという風に結論付けましたが

信長には野心があるというバイアスがかかると、あることないこと言っていちゃもんつけているだけに違いない。という見方になってしまいます。

 

そして、それがバイアスなのか、事実なのか

なかなか断定はむつかしいですよね。

新しい資料が出ることで覆されることもあるし

1次資料だけでは全体像を知るには足りないので

伝記のような、歴史初七日小説なのかわからないような資料にも頼らざるを得ない状況で、どこの記述が本当でどこの記述が誇張なのか取捨選択は結構、研究者によって変わることも多いようです。

 

なので、本当の信長はこんな感じだ!なんて言ってみたものの

我々の歴史の受け取り方もそれくらいアバウト楽しむのがいいのかもしれませんね。

 

 

信長名鑑

信長名鑑

  • 作者:姫川 榴弾
  • 出版社/メーカー: 太田出版
  • 発売日: 2019/11/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)