麒麟がくる、終わっちゃいましたね
もしかしたら初めて大河を1年通してみたかも
ここ最近見た大河は「軍師官兵衛」と「真田丸」という話は前にしたと思うのですが
軍師官兵衛は荒木村重につかまった後の岡田さんの演技が鬼気迫っていて素晴らしいというツイートを見てから見初めまして
で、真田丸もなんでか忘れましたが結構序盤見逃しているんですよね。
普通に大河がいつ始まるか知らなかっただけかもだけど
だもんで、最初から最後まで通しで見た大河は地味に麒麟がくるが初めてかもしれない。
小さいころに見てたのはよくわからん。秀吉と毛利元就の奴はなんか見ていた記憶があるけどまぁ記憶にないのでノーカンですね。
と、また前置きが長くなりました
麒麟がくるは放送開始直前でキャストが不祥事で降板
それに伴い取り直し
からのコロナ禍により放送中断・再開後も合戦シーンが撮影不可能と様々なトラブルに見舞われ、放送回数の削減も噂されましたが、本来開催されるはずだったオリンピックの期間中は放送中止の予定だったことも有り、元々少なかった全44話について、予定通り放送されることとなりました。
まずは無事の放送終了に感謝したいですね。
本当によかった
スタッフも大変だったんだろうなと思います
ただ、本作の感想としては、個人的には正直期待外れでした。
最初はもう少しマイルドに書こうかと思ったのですが、やっぱりちょっとなぁという感情が強くなりすぎたので、正直なところを書いていこうと思います
ということで、具体的に内容について触れていきたいと思います。
- 信長の描き方に対する期待が裏切られた気分
- 本願寺の描き方が明らかに失速していた気がする
- 光秀をヒロイックに描こうとして無理が生じていた感じ
- オリキャラ、ダメだったと思うよ
- 書かないといけないこと、求められていたことを書かなすぎでは?
- まとめ
信長の描き方に対する期待が裏切られた気分
信長について、新的な信長像をつくるとのコメントが公式サイトであったんです。
自分が織田信長を演じることになるとは思ってもみませんでした。しかも、革新的な信長像をゼロから構築したいとNHKの方からお聞きし、新しい織田信長を演じられる喜びと同時に大きな責任も感じています。
というわけで、従来の古典的な信長像に不満があった私としてはとても期待していたんです。
仏教の敵対者で有り、暴君で有り、将軍に成り代わろうとした男
そういった、現在では否定されつつある信長像について
最新の信長像にアップデートする作品になることを期待していたんです
ただ、序盤こそ、人なつっこくも他人の感情の機微がわからない男として、ただの暴君ではない繊細な面を描いていたものの
現在ではほぼ否定されている比叡山の焼き討ちが描かれたあたりから信長の暴走が始まり
終盤は彼の人なつっこさが全くもって描かれなくなってしまいました。
革新的な信長像をゼロから構築しようとしていたはずなのに、いつも通りの本願寺焼き討ち、いつも通りの光秀への八つ当たりと、例年通り、むしろ例年の信長の方が革新的な面があったのではないかと思ってしまうようないつも通りの暴君に帰結してしまったのはとても残念。
信長=嫌われものにするために
最近では協力関係にあったという説も有力な正親町天皇との摩擦を描き
ながく行動を共にしていたはずの近衛先久はいやいやついてきただけという風に描かれる。ウィキペディアでも仲は良かったとされるとあるんだけどね・・・
信長の陰に常に帰蝶と光秀の助言と進言があったという描き方も、まぁ光秀が主人公で、帰蝶を光秀の幼なじみにしたので仕方が無い改変だとは思うのだけど、
キャストの都合で中盤全然出てこず、出てきたと思ったら信長が手に負えなくなったとかいって隠居するのはちょっとどうなのよと。
前にも言ったけど、操っていたつもりが手に負えなくなったのであればまぁ別にそういう描き方も有りだと思うのだけど、にしても積み重ねがないんですよ。
やっぱり、帰蝶のハンドリングが効かなくなっていく描写がないと、ただもてあそんで面倒くさくなったからぽいしているように見える。
いやね、明智光秀が主人公だから仕方がない部分もあったとは思うんです。
後述もしますが
明智光秀=正義の人
という(実在はさておき)キャラクター設定をもとにシナリオが構築されていて
光秀に成敗される信長、というエンディングが一番簡単で分かりやすい筋書きなのはわかるけど
であれば、「革新的な信長像を構築」とか言わんで欲しかったなぁ
それを理由に視聴を決めた奴なんて私くらいなんでしょうけど
これははっきりと言って嘘ですよ
嘘はいけない
私だって新しい信長像なんて言われなければそんなつもりで見てない
評価も変わってた
言ったからには誠意を持ってほしかったな。
それを差し置いても終盤の信長は無能すぎるけどね。
ここまで自分を否定してくる光秀に警戒心ゼロで本能寺とか
過程があっての結末ではなくて
結末のために無理やり動かされてる
本願寺の描き方が明らかに失速していた気がする
個人的に一番気になったのがここ
革新的な信長像の構築がうまくいかなかった原因もここにあるのではないかとちょっと思っています
既存の信長が持っているイメージのリフレッシュに必要だったのは本願寺との関係だと思うんです。
例えば、前に紹介した「信長の忍び」という作品では本願寺は金にがめつい生臭坊主的な描かれ方がされていて
アニメでは本願寺との関係をなるべく穏便に済まそうとする信長が描かれていました。
麒麟がくるの序盤でも農民に通行税を課す坊主たちを描いていたので、そこら辺をこれからクローズアップしていくのかな?と思ったわけです。
事実、その後登場した本願寺教如は、兄、正親町天皇への歪んだ敵愾心により金に執着する亡者として描かれていたのですが
その後は教如というキャラクター性はすべてそぎ落とされて信長と敵対する組織としてて、あるいは反信長のよりどころとしての舞台装置に成り下がり、朝廷と本願寺の関係もなぁなぁになり・・・
と、どこかからストップがかかったのでしょうか、というくらい本願寺の描写が減っていったんですよねぇ。
で、今では否定されている信長の本願寺焼き討ちが描かれてしまう。
やっぱり信長は仏敵でないといけないのでしょうか
そこを取り払ってこその革新的な信長像ではないのでしょうか
と、思うんですよねぇ・・・・
それどころか天皇にもなり替わろうとするとか、いったい何10年前の信長像なのか
光秀をヒロイックに描こうとして無理が生じていた感じ
最初にも書いたけど、光秀をヒロイックに描こうとすると、信長が割を食うのは間違いないんですよね。
NHKもそれがわかったうえで「革新的な信長像を構築したい」と言っていたと思ったので
「おおこりゃ無理難題に挑戦するなぁ」とすごく期待したんですよ。
やっぱり無理でしたね
光秀をあまりにもヒロイックに、そして無謬の存在として描いてしまったために、光秀が抱えている毒も信長にかぶせてしまっている。
中盤将軍を介さず直接天皇とやり取りをしてその権威を利用する信長に嫌悪感を示していたのに、後半の光秀は信長を介さずに将軍や天皇とやり取りをするっていうね。ダブスタでっせダブスタ
光秀が、特に後半完全なる善の存在として君臨してしまったがために、信長への反逆の動機も義憤以外にとれなくなってしまっていて、本作での信長のキャラクターも暴君である以外の選択肢がなくなってしまっている。
平蜘蛛を隠していたのを秀吉に密告されたことを光秀がとがめたことも、
秀吉が大事にすべきが信長か光秀かということを考えたら、むしろ隠していた光秀の方が問題行動ですし、
そのあと平蜘蛛を信長に献上した際の「平蜘蛛にふさわしくあるべき」的な説教も光秀は言う立場ではないと思うんですよね。
ちょっと笑っちゃったので引用
信長「光秀と会うから鼓を一緒に叩くつもり、正直楽しみなんだよね」
光秀「そんなもんどうでもよろしい、殿は嫌われ者です」
信長「えっ、流石に怒りそう。言い方考えろ」
光秀「実は平蜘蛛隠し持ってました、あげます。貴方にこれを持つだけの人間性があることを願います」
信長「やばい怒りそう、そんなことならこんな厄介なもん売るから」
光秀「(はぁ~(溜め息) この人は『麒麟』を呼べないね)」
コンパクトにまとまっていてわかりやすいw
光秀が悪いよ光秀が
そういった意味では、光秀も信長とは違った意味で空気が読めないのですが
信長の人の心が理解できないというキャラクターを丁寧に描けていなかったのと同様に
光秀の空気が読めないキャラクター性が、あまり作中でそういうふうに扱う人物がいないがためにうまく描かれていない気がするんですよね。
家康をもてなす席で信長が光秀を叱責した件もそう。
確かに最初の信長の叱責は因縁付けたようなもんだと思うけど
でもさ、汁物こぼしたの光秀じゃん・・・
宴の席で・・・
そりゃ怒られるよ・・・
えええー
— べる (@bel729) 2021年2月4日
膳にいちゃもんつけたのは信長悪いけど、大事な宴の席で汁物こぼした光秀も言い訳できんほどの失態だよ…
何粗相した相手に手刀繰り出してんねん
もしかしたら見逃してただけで、ちゃんと全部一緒にもって来いって言ってたらその点についても光秀の責だよね・・・
そうなると1から10まで光秀が悪いことになりまっせ。
なんか友達とられたメンヘラみたいになってる信長もだいぶ見ていてしんどいけど
光秀も無理に絶対正義の人にしようとしていてキャラクター像がぼろぼろと崩れていってる。
そんな光秀を、誰もかれも、将軍も、関白も、信長も、家康も、天皇ですら頼りにしている。
正直無理がありすぎてみていられなかった
秀吉も光秀との対比で割を食っていた感じ
後半の秀吉は光秀とは違う裏表のある人物として悪よりな描かれ方をしていて
43話で細川藤孝から「将軍様の存在についてわかっていない」と上から目線でディスられ
伊呂波太夫から「どうも武士が嫌いらしい」とか言われてるけど
むしろもはや何の権力もない(そしてそこまで将軍の権威を陥れたのは自分の上の代)将軍を敬わないことに対して不快感を表すことが正直老害ムーヴだと思うし
伊呂波太夫に至っては、「いや、あんただって武士嫌いでしょ」
と自分を棚に上げた発言にげんなり。
伊呂波太夫の「世の中は貴族と武士だけじゃない」という考え方に一番近いのは秀吉のはずなんだけどね・・・
オリキャラ、ダメだったと思うよ
駒、東庵、伊呂波太夫、菊丸
今回オリキャラ4人ほどいましたが
正直評判よくなかったですよね。
これについても私も同意見
やっぱり便利に使いすぎていると思うんですよね。
オリジナルキャラを出すことについて悪いとは思わないんです
思わないんですが、いくら何でもその立ち位置からあり得ない役割を与えてしまってる。
問題ないのは菊丸くらい
いくら薬を作っているからと言って、町娘が将軍と懇意なのはおかしいし
そもそもそんな薬量産していることもおかしい
伊呂波太夫に近衛前久が頭が上がらないというのも正直無理がある設定
一番の問題は東庵と正親町天皇の関係だと思う
ただの町医者が天皇に普通にあってるとかおかしいでしょ。
東海の町医者に京の天皇が頼らないといけないような状況なの?
いくら金がないって言っても近場の医者に頼むでしょ。
そこについて簡単にでも触れないと、リアリティがなくなってしまう。
ああ、何に不満があるのか分かった
恐らくオリジナルキャラクターって2つの役割があって
今回みたいな歴史の隙間と隙間を埋めるために、あるいは複雑な人間関係を簡略化するために歴史上の人物同士をつなぎ合わせる役目と
歴史に名を残すような人物しかでてこないと見えづらくなる、もっと広い市井の人々の暮らしを描くことで物語の世界観に広がりを持たせる役目だと思うんです
今回のキャラクターは、その出自的には後者なのに、前者の役割をさせてしまっている。
特に中盤から後半。
薬作ってます。それを子供に売りました。その子供は本願寺に売りに行って信長の軍に殺されました。
こういう使い方はとてもいいと思うんです。
ですが、ただの芸者が信長配下の大名や関白にため口で「お前らはだめだ」「何もわかってない」「信長がダメなら誰がいいんだ」
とか暴言吐くのはだめです。
貴族が自分自身の面倒すら見れなくなって没落していく中、何とか信長は立て直したのに「世の中は貴族と武士だけじゃない。それだけがよければいいわけではない」的な発言はさすがにイラっとしました。そこまで信長は面倒見切れんだろうよ。物事には順番があるし、そこまで視界に入っていなくても仕方がない
今までそもそも貴族自体視界に入っていなかったのだから
伊呂波太夫が敬愛する天皇を視界に入れただけでも信長はほかの武将とは違う、他の武将がしてこなかったことをしている。そこについてはまず認めないと
胸糞が悪すぎます。正直こういう、10やったのに「何で12やらないんだ」と責めるような上司に今苦しめられているのでほんと見ていて不快でした。
また彼ら彼女らによって出番が減っているキャストも絶対いますよね。
明智左馬之助とか斎藤利三とかどこ行ったよ。それこそモブ程度の活躍しかしてないべ
左馬之助戦国鍋TVで活躍していた間宮祥太郎君だったからすごく楽しみにしてたんだけどなぁ・・・
最後に光秀の前で「殿と同じ意見です」と言っていた部下たちのそれに至る感情が全く描かれてないですからね。乗れないですね。乗れないです。
細川藤孝も後半の存在感の薄まりよう半端なかった・・・秀吉とのたった一度の密会で光秀を捨てて秀吉につきますか。
玉だってあんなに出番がないとは思わなかった。いなくても問題ないレベルでは?
オリジナルキャラクターってのはわき役に徹するべきで
ネームドをしっかりと活躍させたうえで、その隙間をきれいに埋めるために存在すべきだと思うんですよね
それでも、なぜ、歴史的に重要ではないオリジナルの人物――主に庶民よりの人物がいつも出てくるのか。それは本来、庶民ニアリーイコール視聴者の視点であって、視聴者が共感しやすいように庶民を描いているはずなのだ。
藤原長者である近衛前久にため口を利ける伊呂波大夫も
天皇とゲームに興じる望月東庵も
将軍と頻繁に会う駒も
視聴者の視点たりえぬのですよ
書かないといけないこと、求められていたことを書かなすぎでは?
今、明智光秀を主役に大河を作るのであれば、本能寺の変とそれに至るまでの数多くの謎を解きほぐしていかないといけないと思うんです。
細川藤孝がなぜ明智光秀を裏切ったのかとか
織田信長と明智光秀はどこですれ違ってしまったのかとか
そこを描くためには彼らの描写をしっかりとしていかないといけないのに
細川藤孝のフェードアウトっぷりはすさまじく
織田信長もあまりにも急に無理やり無能な暴君となってしまっている。
本能寺の変後に明智光秀が頼った武将は細川藤孝と筒井順慶だったはずだけど
あまりにも光秀と松永久秀を近づけすぎて筒井順慶も扱いが雑でしたね・・・
秀吉ですら「上様は何かに焦っておられる」と危険視すベルなのに
”何か”について結局語られることは無かった。
そこ大事じゃね?
そこめっちゃ大事じゃね?
って思うけど違うんかな
そもそも、今回の信長って初めからちょっとおかしい人だったと思うんですよ。
おかしいって描写を沢山ちりばめておきながら、そこについてあまり触れる登場人物いなかったと思うんですよね。
脚本上は、「変わってしまったんじゃなくて元からおかしい」のに作中の誰もが「上様は変わってしまった」と言っている。
「天下を任せるに足る人物だと思っていたが最初から違ったようだ」っていう流れにしないのであれば、その設定必要?ってすごく思うんです。
必要?っていうよりも設定活かしきれてなくない?っていう脚本に対する失望になってしまうわけですよ。
やっぱり途中で脚本大幅に変更があったんじゃないかな?って邪推してしまいます。
それくらい拾われないネタが多かった。
まとめ
「革新的な信長像」
というキーワードに私が引っ張られすぎたのが視聴する上での一番の問題だったんだろうなぁとは確かに思います。
私は常に魔王ではない信長を描いた作品に飢えているので・・・
そこにここまで期待して視聴する人がいるとも思ってなかっただろうし
そこまで強い意志を持ってNHKの発言したわけでもないだろうしね。
ただ、序盤の信長は確かに新しさを感じるアプローチだったし
斎藤道三が活躍する序盤は非常に面白かった。
梟雄の汚名を返上した松永久秀もそう
新しいことにチャレンジしていたのはおおよそ序盤で、だからこそ序盤は面白かった。
やっぱりコロナも原因の一つであったかもだけど、途中から無難というか、とがった部分のない脚本になってしまった気がしてとても残念です。
さて、来週から始まる新しい大河「青天を衝け」
あんまり幕末から明治初期にかけてが舞台だと食指が動かないのですが
吉沢亮くん主演で、徳川慶喜が草彅剛だとちょっと面白いことにもなりそうなので
とりあえず引き続き見ていこうと思っています。
その後の大河も面白そうなのが続きますね
来年の「鎌倉殿の13人」も「真田丸」の三谷幸喜脚本で、鎌倉初期のニッチなキャラクターにスポットライトを当てるようですし
個人的な本命はさらに翌年の「どうする家康」ですね
家康の遺訓としてこのような言葉が残っています
彼が手に入れた征夷大将軍という職は、もしかして重荷だったのだろうか
前回紹介した作品はまさにそのスタンスで家康を描いています
家康は、天下統一という大事業を成しえていく間に、子と妻の斬首も含め、重く苦しい判断をいくつもしてきました。
天下を虎視眈々と狙い、横からかっさらっていった腹黒狸ではなく
時代の荒波にもがきぬいた一人の武将を描くのであれば、とても期待大です。