平成仮面ライダー20周年。と聞くと、やはりすごいコンテンツだなぁと思い知らされます。
私はカブトから見始めた途中参加組のにわかだと思ってるのですが、にわかとはいえもう10年以上付き合っているのでいやはや、長い付き合いです。
実際のところ、戦隊ヒーローのほうが初代から中断することなく続いているので歴史は長いのですが、
仮面ライダーのほうが連綿と続いている感があるのは、平成半ばに仮面ライダーという作品をリスタートするにあたり、10年の節目で記念碑的作品である「仮面ライダーディケイド」の存在が重要だったのではないかと思います。
仮面ライダージオウ RKF レジェンドライダーシリーズ 仮面ライダーディケイド
- 出版社/メーカー: バンダイ(BANDAI)
- 発売日: 2019/04/27
- メディア: おもちゃ&ホビー
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ディケイドが各ライダーの壁を文字通り壊したことによって、そしれそれが自然に受け入れられたことによって、世代を超えて仮面ライダーが共演する下地が整えられた感じ。
ファンも、異なる世界観の交わりをとても楽しみにしていて、連綿と続く仮面ライダーワールドの構築に一役買っているなぁと思います。士、最初はモヤシなんて呼ばれてたのに、いやまぁ今でも呼ばれてる気がするけど、いつの間にか愛されキャラになり、舞台俳優の重鎮ポジションで、一児のパパなんだよな・・・ジオウでも安心感が半端無い
さて、作品ですが大きく2部構成となっていて、戦国時代編と現代編
戦国時代編は、歴史というのが後代の人間にとって、あるいは歴史書の筆者にとって都合のいいように書き換えられていることを、近年の研究でその人間性の評価の変化が著しい織田信長を実例とすることで効果的に演出しています。
まぁ、ちょっとやり過ぎ感もありますが、やりすぎかどうかそれもわからない。
最近の信長像は、
人を信じやすく
裏切りに寛容で
礼節と伝統を守り
ただちょっとコミュ障
というイメージかなぁと思います。
うん。意外と劇中の信長いい線行ってるかもだな
こういった作品で「信長公記」の筆者太田牛一(作中では太田牛三)がフィーチャーされるのは珍しい。
牛三はふがいない信長を後世に残したくなくて、あえて格好よく日記に残そうとしていますね。
逆も然り、裏切り者の代名詞「小早川秀秋」も若くして子を残さずに世を去り、お家が断絶したため、様々な遺恨、罪を彼に押し付けられている感があります。
曰く、残虐だった
曰く、愚鈍だった
曰く、裏切り者だった
他方、日の目を見ていない資料に目を通すと、
勇猛であった
野心家であった
裏切ったのではなく勝手に仲間だと思っていただけだった。
どちらが本当かはわかりません。
本作でも表面上は正しい歴史からそれているように見えて、歴史書ではカットされたストーリーをちゃんとなぞっていただけなので(なのでスタインベルト家の家宝に蘭奢待のささった十字架が残っているんですよね。神父が奥さんの姓を名乗っていたことは置いておこう。結婚済み?ノッブ・・・( ;∀;))むしろ長篠の戦場に引き戻そうとすることが歴史改編となります。
これは、年度末の快作「映画刀剣乱舞」でも描かれていたテーマですね。
後世に残った歴史が正しい歴史とは限らない。
それを知っているのは当代を生きた人たちだけ。
ソウゴの「僕たちにとっては過去でも、信長にとっては今」
というのはいいワードですね。
これは現代編にもつながってくるテーマです
ギャグテイストでまとめつつも、時間と歴史をテーマにしているジオウのその締めくくりとなる映画の主題をわかりやすく示していたと思います。
で、後半は現代に戻って、ウォッチがそろったことによりソウゴを用済みと判断したクォーツァーSOUGOが本格的に活動を開始します。
オーマジオウとソウゴのメンタリティがつながらなかったのは、そもそも別人だったからなのか!という衝撃のシーンですね。
・・・ですよね?ちょっと自信ない。SOUGO仮面ライダーバールクスだしなぁ。
最強最悪の魔王はオーマジオウではなくてバールクス。という歴史に書き換えるのかしら。うーむ
そしてウォズはいつからクォーツァーだったのか。レジスタンスのころから?
ジオウは結構そういうところあるけど細かいところがふわふわしてるんですよねぇ。
ウォズのメッタメタな発言は個人的には面白かったです。
平成最後だし、4次元の壁をオープニングで常に超え続けてきたウォズならではの立ち位置を上手く昇華していました。
まぁデッドプール好きな時点でメタへの寛容はそこそこありますよね。
またオーマフォームの立ち位置も素晴らしいです。
平成ライダーのすべての力を自在に行使するグランドジオウに対して、平成ライダーの価値を揺らがせることで対抗したクォーツァー
そこで、平成ライダーに助けられているジオウではなく平成ライダーが見初めた常盤ソウゴ個人の力としてオーマフォームがある。
電王のクライマックスフォームに対するライナーフォームみたいな趣を感じます。実に善き
平成最期の仮面ライダーの劇場版ということで、これでもかと”仮面ライダー”という資産を出し尽くしてる感じも、今しかない!という感じでよかったです。
敵の3ライダーも平成生まれの”平成ライダー”ではない仮面ライダーたち。下手すると昭和ライダー扱いされてたりとかね。ジェイとか。
それに、ただの1コーナーの企画でしかなかった仮面ライダーG
ビルに大きくGの文字が出るのは存在しか知らなかった私でもたぎるものがありましたし
仮面ライダーの広がりを見せたという点では自分も見に行った
舞台仮面ライダー斬月の斬月カチドキアームズは最たるものだと思うのです。
あの仮面ライダーが舞台という驚き。しかもクオリティも高かった・・・というのは蛇足ですが。
ポスターから抜け出す演出も、ただ平成ライダーを押さえつけるというクォーツァーの力業では抑えきれない滲みだす平成ライダーの底力を見せつけていてよかったです。
仮面ライダーブレンは・・・うん。まぁいいんじゃないでしょうかwおいしいなぁ愛されてるなぁブレン。
ジオウに統合されて消えたはずのライダーが抑えきれず出てくる演出も熱かった。平成最期なんだし、最強フォームも出そうぜ、と思いながら見てたら即座に最強フォーム祭りでまた上がりますね。
できれば全員そろい踏みでワンカット欲しかったですが。
そして、今回の隠し玉の仮面ノリダー。ネタバレを踏んでしまったのがとても悔やまれます。
変身こそしませんでしたが、変身すると世界観が崩れるようなデザインなので、あれくらいの演出がちょうどいいんだろうなぁ。
いい感じに渋くて本郷猛感も増してましたねw
とまぁ演出としては素晴らしいなぁと思うんですが、
2点どうしても納得がいかないところがあって、そこが個人的にクリティカルで、乗り切ることができなかったのが正直なところでした。
1点目は、本作と前作の敵の動機がほぼ同じこと。
前作のスーパータイムジャッカー(この子もジオウのふわふわ感の被害者なきがしないでもない)
も理由のない平成ライダーへの憎悪で平成ライダーの歴史を消そうとするのが目的でした。尾崎豊かよ!
理由がなさ過ぎて冬映画もいまいち乗り切れなかったのですが、
本作も、「平成は醜い」という特に具体例のない不満で平成をやり直そうとするのがどうしても冬映画とダブってしまってダメでした。
ジオウという映画と過去改変は切っても切れない関係なのはわかる。でもせめて切り口を変えるとか、もうちょっとちゃんと動機をしっかり持たせるとかしてほしかった。
もう1点が個人的に致命的で
クォーツァーの「平成がまるで凸凹な道だから俺たちが舗装してやる」という目的と、ツクヨミゲイツの「オーマジオウに支配された未来を変える」という目的に、動機の善悪は違えど、願う結果が歴史の改編ということで同じなのがとても気になるんですよ。
すごく漠然としてふわふわしてるけどこんな平成だと令和もよい時代にならないから平成を良い時代にしたいわけだよね。クォーツァー
SOUGOが倒された後の残ったメンバーの発言からはそう受け取ったのだけれども。
悪い未来を変えたいから過去を改変する。というのは、ツクヨミゲイツも同じなんだよなぁ。
クォーツァーを否定するならツクヨミゲイツも否定しないといけないんじゃないの?となっていろいろと飲み込めなくなってしまいました。
この2点に引っかかっちゃって、それ以外のところもスルー出来なくなってしまったのが悲しい。
剛の記憶が戻った説明がないよね。強引でもいいから説明が欲しかった。個人的には、記憶を失ってもライダーのハートは失ってなくて、よくわからないけど何とかしないと!っていう感情に突き動かされてツクヨミゲイツと行動を共にしたとかのほうがかっこいいと思うのだが
ウォッチを渡すと記憶がなくなる設定も途中からあやふやになっていた気もするので気記憶を消さなければよかったのにとも思う。つーかね。剛からダチの記憶を消さないために頑張ったのに、記憶消えちゃってんじゃん。
映画世界でのオーマジオウの扱いもあやふやでしたね。
オーマフォームへの進化を促したのがオーマジオウなので、オーマジオウ=SOUGOの線は消えました。テレビのほうでもいまだにオーマジオウがなぜ最強最悪の魔王なのかがいまだに語られていない上にいい人ムーブが最近多いので、いまいちつかみどころがありません。
しかもSOUGOが消えてツクヨミゲイツが目的を果たして歴史が改変されたということになると、やはりSOUGO=オーマジオウということになり、こんがらがっております。細かいこと考えてないんだろうけど。
気になるところを上げていくときりがないですが、お祭り映画としてみたい絵をたくさん見せてくれた本作は、いろんな人が言う通り快作で怪作、細かいところの整合性ぶん投げているのもウォズの最後のセリフで確信犯だとわかります。
乗るしかない、このビッグウェーブに
的な感じでウェーイするのが正解だと思うんです。
こまけぇ事は良いんだよ!で楽しむのは今までのライダー映画もそうでしたし。
最近細かいこと気にし過ぎてうぇーいできなくて悲しい。
そういった意味では天気の子は稀有な作品だった
でも、せめて根本大本の敵の動機については、ライブ感に任せ過ぎずにもっとしっかりと持ってほしかったなぁ。
というのがジオウの2本の映画を見ての感想でした。
そういった意味では、仮面ライダー平成ジェネレーションズFinalは、ビルドという作品でマッドサイエンティストの存在の敷居が低かったのもあるけど、夏映画の客演を伏線にする名采配もありつつ、簡単かつ明快な動機で分かりやすいストーリー展開で素晴らしかった。
客演もうまくいかせてたなぁ。
劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzer オリジナル サウンド トラック
- アーティスト: ヴァリアス・アーティスト
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