この記事は、原田眞人監督の死因を断定したり、特定の人物に直接的な責任を帰することを目的としたものではありません。
一方で、専門家を名乗る人物の発言や態度が、人の生死に関わる判断へどのような影響を与えうるのかについて、強い問題意識を抱いたため、記録として書き残します。
原田監督の逝去に際し、
振り返ってみると、実は私の人生の非常に大きなターニングポイントに、原田監督の作品があったことに気づき、そのことを前回の記事で綴りました。
そして同時に、この死をめぐって、非常に看過できない情報が浮かび上がってきたことも事実です。
原田眞人監督ブログ最後の記事(2025年8月26日)https://t.co/85FqOTFaoN pic.twitter.com/tDkbrrwiVu
— Aki@LetTheRogueOneIn (@akihiko89) 2025年12月12日
故近藤誠氏や、その遺志を継承するとされる和田秀樹氏、木村盛世氏、あるいは萬田緑平氏らの「検査をするな」「病院へ行くな」といった発言に同調するようになったのだ。
いわゆる偽医療、あるいは医療カルトと呼ばれる文脈の中で、近藤誠氏という人物が極めて危うい存在であることは、この投稿に寄せられたリポストなどからも確認できます。
ただ、私個人として強く感じたのは、
「また和田秀樹氏か……」
という、率直な不快感でした。
詳しい話は過去のブログでも触れていますが、
市内で開催されたカルチャーイベントにおける「南総里見八犬伝を語る」トークセッションにおいて、
原作を読まずに登壇するという姿勢。
曲亭馬琴のWikipediaの記事だけを読んで理解した気になり、
「曲亭馬琴はADHDだった」などと軽々しく口にする、医療従事者としてあまりにも配慮を欠いた発言。
さらに、当時話題になっていた松本人志氏の女性問題へ、無理やり話題を接続しようとする場の空気を読めなさ。
それら一連の言動から、私は和田秀樹氏という人物に対して、
人としてだけでなく、公的な場で発言する精神科医としての姿勢に、強い不信感を抱いていました。
そして今回、原田監督に対して、
本来は自身の専門領域ではないはずの分野について、
現代の標準医療に反する助言が行われていた可能性があると知り、
それは医師倫理の観点から見て、きわめて問題の大きい行為ではないかと感じています。
その助言が直接の原因で監督が亡くなった、とは言いません。
しかし、専門外の領域について、専門家であるかのように振る舞い、
人の判断に影響を与えること自体が、重大な責任を伴う行為であるはずです。
和田秀樹氏だけの問題ではありません。
日本には、専門家を装いながら、専門外の分野について饒舌に語る人物が、あまりにも多く存在しています。
これは日本に限った話ではありません。
私はこの話を聞いて、故スティーブ・ジョブズが、標準医療を否定する言説に影響を受け、
結果として治療の機会を逸してしまった悲劇を思い出しました。
こうした言説を広める人々は、
どれほど不幸な結果が生じたとしても、反省することも、責任を取ることもありません。
そして何事もなかったかのように、次の誰かへと近づいていく。
私はこれを、
人の命を危険にさらしかねない、極めて無責任な言説の構造だと考えています。
実際、医療現場では、偽医療や反標準医療の影響を受けた患者が、
手遅れの状態で標準医療に駆け込んでくるケースが少なくないことが、
医療関係者からも繰り返し警鐘として語られています。
そして、偽医療の拡散者は、「手遅れになって駆け込んだ患者」であることを隠し、
標準医療が助けられなかったことだけを拡散します。
もし、和田秀樹氏が、
単に空気が読めない人物であるというレベルを超えて、
薄弱な根拠や陰謀論的な言説によって現代医療を否定し、
その拡散に加担しているのだとすれば、
それは決して許される行為ではないと、私は考えます。
以下は、過去に私が、
和田秀樹氏のアンプロフェッショナルな振る舞いについて書いた記事です。
「アンプロフェッショナル」
かつて小泉防衛大臣が中国に対して使った言葉ですが、
和田秀樹氏にも、残念ながら非常によく当てはまる表現だと感じています。
原田監督と私について語った記事です。
この記事を書くきっかけになりました。
偽医療の問題は、怒りだけで終わらせてはいけないと思っています。
なぜ人は信じてしまうのか、なぜ止められないのか。
その問いを考える手がかりとして、以下の書籍を紹介しておきます。

