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映画、漫画、革のブログです

MCU をめぐる論争がまるでJOKER みたい

 

 

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マーティン・スコセッシ監督が、マーベル映画のことを 

 

感情的、心理的体験を観客に伝えようとする人間的な映画ではないね

 

と切り捨てたことについて、色々と話題になっていますね。

発言そのものについて、私はとても悲しいです。

 

 

そういった作品は普段観ません。いや、観たことはあるんですよ?でもあれは映画じゃない。 

 

いろいろ思うところはあるけどまず一番残念なのがこの部分です。

おそらく見た作品は1つか2つでしょう。

一部を見て全部を語ろうとする行為は危険ですよね。

MCUにかかわらず、DCEUもアメコミ映画という枠の中で、多様性をいかに持たせるかについて尽力していると思います。

キャプテンアメリカは戦争映画を、初期マイティソーはゴシックオペラを、ドクターストレンジの次作はホラーを取り入れるようですね。

 

シャザムでも同じ話をしましたが、なかなかとっつきづらい重いテーマをアメリカンコミックのスーパーヒーローというとっつきやすい題材で多くの人に届けようと努力しています。

 

belphegor729.hatenablog.com

( 話はそれるけど、ポップなキャラクタ設定でダークなテーマをオブラートに包んだ作品の中で一番ギャップが激しかったのが「ズートピア」だと思う。ズートピアのレビューもそのうちしたいな)

勿論、ただ楽しいだけの映画もありますでしょう。

 

 

ガン監督のアンサーが端的で的確です。

 

かつて『最後の誘惑(1988年に公開されたスコセッシ監督の作品。イエス・キリストとユダを描いたことで上映反対運動が起きるなど物議を醸した作品)』を見てもいない人達が抗議運動が起こした時、僕は激怒しました。今、彼が僕の映画を同じように判断していることはとても残念です

 

 

批判に抵抗していた側が、年を経て批判する側になってしまうという事実もとても悲しいです。

 

その後スコセッシ監督は、ある種の釈明をしたようですが、

 

theriver.jp

 

言いたいことはわかるがやっぱりちょっと問題じゃないか?

 

たぶんたとえとしてうまくないけど、

ラーメン作ってる人間に、

 

これはラーメンではない、うどんだ。

うどんとしてはおいしいし、うどんもあってもいい。

 

と言われても別になんかフォローになっていないというか。

 

それに、まぁ言わないと伝わらない真意は真意ではないと思っているので

あとから言われても後付けでしょ、って感じ

 

 

映画館がアミューズメントパークになりつつあります。それは素敵なことだし、良いことだと思いますが、すべてが飲み込まれてしまってはいけない 

 

勿論そういう危機感はお感じになられているのでしょうし、そいう考えを持つことを否定はしないけど、それをマーベル映画にぶつけるのは八つ当たりかなぁ

 

エンドゲームが興行収入1位とったとかはどうでもよくて、多様性が大事だと思う。

映画ではなくテーマパークだとMCUを映画の枠から切り捨てるのは映画の多様性を否定する行為だから、映画監督としては悪手だと思うんですよね。

 

 

「映画館がアミューズメントパークになりつつあります。それは素敵なことだし、良いことだと思いますが、すべてが飲み込まれてしまってはいけない。あの手の映画を楽しむ人々にとっては良いことですし、彼らの仕事はすごいと思います。ただ、単純に私の仕事ではない。(マーベル映画は)“映画とはああいうものだ”と観客に思わせる体験を生み出していますよね。」 

 

 ああいうものってどういうものでしょうね。

 ああいうものについて、スコセッシ監督は具体化しないことで具体的に批判されるのを避けていると思う。

 

 好き嫌いを語るのは自由だと思います。私はホラー映画嫌いですし。でもだからと言って、

 ホラー映画はがあってもいいけどあんなものは映画ではない。

なんて映画だけでなく、スタッフ、そしてファンも否定するようなこと言えないですけどね。

 すべての映画がホラーになったら絶望しますけど

 

 はっきり言って映画館というシステムはもう限界を迎えているでしょう

 正確には、映画館だけで映画の多様性を担保する状況は限界を迎えていると思います。

 特に日本では映画館で映画を見る人がどんどん減っています。

 収入が減っていく中で、経営を成り立たせていくためには、売れる作品を上映していく方向に舵を切らざるを得ないでしょう。

 その中で、もっと映画を見に行ってほしいと観客にお願いするのはありでしょうが、

 現在の映画館の運営が歪だ、というのは映画館に対して酷です。

 

 観客の意識を変えるのは映画館ではなく、配給側、クリエイター側ではないでしょうか。

 勿論意識を変えようという努力を業界側もしてきたと思います。

 しかしそれにも限界がある。

 

 それを補完する存在が、アマゾンプライムだったりネットフリックスだったりの映像配信事業だと思うんですよね。

 

 だから、特定の分野の映画が映画館で上映できなくなったと嘆くよりは、

 そういった映画も、その分野のファンに余すことなく届けることで作品を継続して作れるような集金システム(この場合はネットフリックス)が新しく生まれたことで

 昔であれば作成できなかったような状況を回避し、多様性が担保できたことを喜ぶべきだと思うんです。

 そして、映像配信事業でコンスタントにヒットを出すことで、ジャンルが活性化してまた映画館で上映できる世の中になるかもしれない。

やるべきことは他の作品をけなすことではなく、自分のジャンルを広めていくことだと思う

 

 

 

 

theriver.jp

 

 

 

もっとひどいのはこの記事で言及されている2人の監督だと思います。

コッポラ監督にしても、ローチ監督にしても

発言に強さがありますね。


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恐らく自身が評論家に評価されるような映画を撮ってきたことについて自覚的でしょう。

ローチ監督に至っては映画=芸術とまで断じてますからね。

 多様性を大事にしないといけないクリエイターが率先して多様性を否定するのは何なんだろうね。

ただただ悲しい。

 

 

映画について文句を言いたいのなら、それは確かに正当なことです。けれども、作品に関わる全員に対しては非常に失礼だとは思います。

 

というアイガーCEOの発言に全面的に同意です。

 

 好き嫌いは作品の存在までは否定しませんが

 「卑劣である」「映画とは無関係」という発言は、明確に作品の存在を否定しています。

  そして、そいう言う強い発言がスコセッシ監督の発言に続く形で、自分発進でないところが「卑怯」

 スコセッシ監督はのちに、現在の映画館を取り巻く状況に対する懸念が真意だとフォローしましたが、2人の監督は「映画ではない」という発言だけを切り取って勝手に忖度しているように見える。

 

 まるでピエロによる高給取りの殺人に勝手に意味を感じて祭り上げているゴッサムシティの住人みたい。 

belphegor729.hatenablog.com

 

批判に反応するのは大人げないと考える人もいると思うけどそれは違うと思う。

 

 

 

MCU批判は仕方がないじゃない価値観が合わなかったと言うだけの話だし、
重要なのはMCUが私達ファンに興奮と感動を届けてくれていること!
喧嘩する体力あるならMCU作品の感想で溢れんばかりの感謝をツイートする方が有意義じゃない?

— キャップ (@MnyEbeo) October 24, 2019

 

そうじゃない!そうじゃないんだよ・・・

大人の対応をしろっていうのはその通りだと思うけど、

彼らの発言は価値観の相違ではないんだよ・・・

 

 

感情的、心理的体験を観客に伝えようとする人間的な映画ではないね 

 

という発言は、私たちMCUファンの心を動かしたい!っていうスタッフのハートを否定する発言なんだよ。

 

 シヴィルウォーで両親の事故の真相に苦悩するトニースターク 

 エンドゲームでガントレットを使わせてくれと懇願するソー

 それ以外にもいろいろと私たちが心打たれたシーンがあったと思う。

 それを否定しているんだよ。

 好き嫌いではなく、人間的ではないと。

 それは違う、と声をあげることは、必要なことだと思う。

 

それにさ

うまいうまい言って寿司食べてるときに海原雄山に

「そんなもの本当の寿司ではない」

って言われてるようなものだと思うんよ。

 

うるせーおれにとってはこれが寿司なんだよーって言いたい気持ちは大切だと思うんだよ・・・

 

ただ、一部MCUファンのなかで、

誰を敵にしているのか

的発言が見受けられるけど、それも言語道断だと思う。

強いキャラの出る映画さへ作れば言論封殺できると思っていると言う考えは浅はかで、それがまかり通ると思っていることが、映画の多様性を毀損することになる。

正直、オタクが批判にさらされているときに一番警戒するのはこういうフレンドリファイアなんですよね…

 

 

 

最後に

 ベネディクトカンパーバッチがドクターストレンジとしてMCUに参加したことがとてもうれしかったんですよね。

 ドクターストレンジ以前に見た出演作品はスタートレックだけでしたが、その作品での演技にとても感銘を受けまして、無表情なのにめっちゃ感情表現豊かなんですよね。それで、ためてためて、感情を爆発させたときの表情。これが素晴らしくて。

 そんなカンパーバッチが、MCUという長く拘束される作品に参加してくれることが、うれしいと同時に、本当かな?と半信半疑だったりもしたのですが

 

 今回の騒動で彼が発した言葉に、映画という業界そのものに対する真摯な思いを感じ、改めて感銘を受けましたので、それを引用して〆たいと思います。

 

 

「これも芸術のひとつの形ですよ。過小評価する方もいるけれども、非常に高いレベルの技術だけでなく、どんなことを描くのかといったことが(作品には)求められるし、人々に語りかけられるだけの人気も必要なんです。」