バビロニアアニメ8話、よいところもあり、個人的に引っかかる描写もありだったのですが、
どこまでがアニメオリジナルで、どこからが原作準拠なのか、正直記憶があいまいなので、ちょっとゲームのリプレイを見ながら確認してみようと思いまして、
両方を見比べつつ、個人的な感想を呟いてみようと思います。
結論としては、結構違いましたね
ゲームでは第8章「魔獣母神」
アニメでは7話のBパートから8話丸々と1.5話かけてます。
7話のEDと8話のOPが省略されていたので、アニメとしても本エピソードを序盤のクライマックスととらえていることがうかがえます。
ゲームでシナリオを確認する感じ、印象的なセリフは割とゲーム準拠なんだなぁという感じです。
ただ、起きたイベントについては少し時系列やシーンの意味が変わっていますね。
ゲームだと、
派兵→包囲撤退(アナVS魔獣戦)→ティアマト出現→牛若助太刀→マーリン殿(即撤回)→レオニダスが主人公をかばって石化→偽エルキドゥの説得によりゴルゴーン退却
これがアニメだと
派兵→包囲(アナVS魔獣戦)→ティアマト出現→マーリン応戦(即撤回)→牛若参戦主人公撤退→ティアマト主人公に追いつく→レオニダス応戦→牛若再戦→偽エルキドゥの説得によりゴルゴーン退却
個人的に興味深いポイントを最初から見てみたいと思います。
目次
ニップル派兵
主人公をレオニダス王が見送るくだりは、ゲームでもアニメでも同様だったと思います。
ただ、同様であったがゆえに、その後の主人公の行動に差異が出たのが良くないなぁと思います。
ゲームでは主人公は言いつけ通り即座的確に撤退を行っていますが
アニメでは仲間の安否を気遣うあまり逃げる足がたびたび止まっています。
レオニダス死亡の際には逃げるどころかレオニダスに駆け寄っていますね。
仲間を思いやる姿を見せないと絵にならないのだろうなぁとは確かに思うんですけどね。
そこらへん映像になるとあえて書かなかったところを書かないといけなくなるのでむつかしいですね。
牛若隊魔獣討伐
牛若はアニメだと魔獣を討伐するシーンで一瞬ヒャッハーな顔してましたが、ゲームだとより冷酷でした。
それがまた戦上手であることを際立たせていてかっこ良いのですが
また、アニメだとニップルに救援に駆けつけないのはギルガメッシュ王の言いつけでしたが、ゲームだと王の言いつけではありましたが含みがありましたね。
その後の展開を見るに、真に危険であると判断するまでは自身の力のみで切り抜けるべきとかそんな感じなのかな?
ピンチの時に手助けできるよう個別に行動せよ的な指令だったんですかね。
武蔵坊の動揺からすると、むしろ王からは主人公の代わりに死ね位のことは言われてそう。
そしてその期待に添えず済まないと言うことなのか
アニメの方はその後の展開をよりドラマティックにするために、藤丸と牛若の友情にかなり焦点を当てているイメージ。友情を優先してギルガメッシュ王との約束を破っているような演出です
ゴルゴーン登場
ゴルゴーンが規格外の大きさなのは原作からなんですね。
どうしても戦闘だと通常のサーバントサイズになるし、舞台でも演者がいたので、あまり大きなイメージが持ててませんでした。
牛若助太刀・リベンジマッチ
牛若が遮那王流離譚を駆使してゴルゴーンに応戦しているのも原作通り。
ただ、武蔵坊が来なかった理由が少し変わっています
ゲームでは後から来い。
アニメでは代わりに部隊を指揮せよ。
アニメの方ではついてこなかったことについては問題ない感じ。武蔵坊が感じる罪悪感は、着いていくべきなのに立ち止まってしまったゲーム版の方が大きそうです。
牛若の善戦はゲーム通りの模様
お眉間、貰った!
ボイスが入ったのもあってアニメの牛若丸かっこよすぎる・・・
この牛若丸のモノローグ凄く好きです。
過去の英雄が現代の若者に自身の経験から諭す姿は胸に込み上げるものがあります
しかしかなわず、おそらく尻尾で弾き飛ばされ退場。
熊と並べられる政子さまワロス
ということで牛若は初戦で敗退
リベンジマッチを設定したアニメは名采配です。
牛若が自身の童謡を歌いながら立ち上がるのも、
サーバントは死後の情報を得た形で顕現する(んだよね。召還された時代の知識っだっけ?)事を端的に表すと同時に、自身が伝記に残されるような、語りづかれるような存在となったことを静かに噛み締める行為としてとても効果的な演出だと思います。
ここ、牛若にピントがあってないの最高すぎん?
あまりの速さに前方の石片にピントが合ってしまったことを表現しているのかな?と思ってるんだけど、
人ではなくピントのほうが動くことで静のシーンに動を与え、緊張感がグッと高まる感じ。
そして満を持して放たれる「遮那王流離譚・壇ノ浦八艘飛」
奥の手感がやばい。FGOで使用される宝具は牛若丸の宝具のなかでもとっておきなんだぞ!
ただそれを見る藤丸。おまえほんとあかん。何口ポカーンとあけてんねん。
牛若はお前の盾になるんだ!
ぼさっとすんな!!
歯ぁ食いしばれ
もっとこう、自分がもっと強ければ牛若もレオニダスも失わずに済んだのでは?
みたいな悔しさを出してくれ!!
最後のマスターには茫然自失になってる暇なんてないんじゃーーー
はぁはぁはぁ
取り乱しました。
ただ、人によって捉え方はあると思いますが、8話でずっと感じていた藤丸に対する違和感が私のなかで不快感に変わったシーンです
マーリン殿(しんがり)
牛若の助太刀とリベンジマッチを一緒にしてしまったから流れがおかしくなっちゃったな。
個人的にアニメいまいちだったなと思うシーンの一つです。
ゲームではマーリンはかつ気はさらさらなくて、死んでも復活できるからゴルゴーンの的になるよ。そのうちに逃げてね。という感じだったと思うんです。
最後の台詞は潰されてる間に逃げてねって話だと思うんですよね。
ただ、アニメの方はゴルゴーンと対峙してあわよくば追い払おうという甘い目論見も感じます。
ゲームでは必死感があったんだけど、アニメは余裕な感じを漂わせていて、目論見が外れた後のムーブがより一層残念に感じるんだよなぁ。
レオニダス身代わり
アニメのレオニダス王、勝算があって出陣したのかがよくわからないのですよね。
あの状態だと一矢報いる程度では状況が覆らないので、彼の行動にもう一声意味がほしいというか。例えば同じ神話の生まれのレオニダス王の奮起に感嘆し、ゴルゴーンは手を引くとか。そうしてしまうとキングゥが3女神同盟の本当の理由を説明するくだりがなくなるのですが。
ただ、牛若の再起もそうですが、彼らの奮戦が意味を持つストーリーだったらもっと良かったなぁと思うんですよね。例えば、傷は癒せどレオニダスのひと槍、牛若のひと太刀を浴びて休養を取るべきという形でキングゥが撤退を促すとかね。その上で3女神同盟の裏の意味を語るとか。
ゲームはその点、主人公は退却するも一歩及ばず、主人公がゴルゴーンの攻撃を受ける寸前に文字通り盾となって果てた演出なので、
主人公への攻撃を防いだ
その点だけでも十分意味があります。
ワイには死を覚悟する主人公を追い抜き、すれ違いざまに宝具を展開するレオニダスが見えたんや・・・
ゴルゴーンも真名をばらされた上でかなり冷静です。
まぁ、ここは演出上仕方がないのかなとも思います。擦れ違いざまに宝具を発動して退場、ではあまりにもあっさりですから。
これは先ほどのマーリンも同じで、見せ場として、
敵と対峙して応戦
という絵を入れないと締まらなかったんだろうな
もう一つ、アニメではゴルゴーンテンション上がって全部ぶっ壊してやるわぁ!
ってなってましたが、この時点で主人公は死亡必至なんですよね。
なので何棒立ちになってんねん。という不満が私の中でわくのですが
ゲームの場合は王の殺害にターゲットを変更して、その結果主人公は攻撃対象ではないと発言するんですよね。
ゴルゴーンへの対抗策を失った状態でも主人公は安全な状態になるよううまく動線を作っています。キングゥの静止の対象も主人公からギルガメッシュに映っているのもキングゥとギルの因縁を感じさせて良いです。
きのこやっぱすごいんやな・・・
エピローグ
この記事を書こうと思ったのはこのつぶやきを見たからなのですが
#バビロニア #FGO_ep7
— 江田島 平七 (@jum_sai) 2019年11月23日
今回の話、素晴らしかったけどあえて、あえて一つだけ残念な改変だと言いたい。
ウルクの兵士が心折れずに、自分達の力で、立ち直るシーン。これは変えないでほしかった。身は滅んでもレオニダスの意志は残ってるシーンだったから。
主人公に言われて立ち直るんじゃなくて pic.twitter.com/Epn5hBHzMf
うーん。これは思った以上に改編で失われた意味が大きいなぁ。
レオニダス王という指導者を失って、兵士たちがうなだれるまでは一緒なのですが、
ゲームでは1人の兵士の鼓舞によって立ち直ります。
アニメではこの役割を藤丸が担っているのですが・・・
最後の発言もギルガメッシュ王の思想もよく兵に伝わっているなぁと感心します。
で、ここで大事なのは、レオニダスの言葉を思い出して兵士たちが再び立ち上がることではなくて、
「兵士の中にレオニダスの代わりになる人物がいる」
ということだと思うんですよね。
レオニダスの長きにわたる指導の結果、部隊の中に後継者が生まれる。
幾度も世界の危機を救った藤丸であればその結論に達するのはたやすいです。
しかし、此度の戦の経験だけで、それだけの指導者があとから続いていくこと、またかれが倒れても次の誰かが続いていくであろうことが
レオニダス王の指導の賜物であり、レオニダス王のカリスマ性につながる。
そして、これから藤丸がウルクを離れる中で、北壁を守る精神的指導者がレオニダス以外にいるという安心感もまたアニメ版とは大きく違います。
その立ち上がる姿が、また戦意を失いウルクを後にした常陸坊の心にもう一度火をともす力とのなるのです。
まとめ
正直なところを言うと、演出として素晴らしいところが多く、本当にアニメで見れて良かったと思う反面、キャラクターを印象深く演出するための変更で話の流が乱れたなと感じたのも確かです。
後半の流れはゲームのほうが好きですね。
結論としては、藤丸立花を「純真無垢な英雄」として描こうとしているのかなぁ。
人に対し悪意をもって対峙するゴルゴーン、また、その上位にいる魔術王ソロモンに対して、無垢な思いで立ち向かう、黒い敵に対して白い主人公という対比で構図を落とし込もうとしているような印象を受けます。
個人的に主人公のピュアさについては思うことはありますが、この構図はきっと魔獣第2世代が活動を開始する際に上手く対比として効いてくるのではないかと思うので、なるべくフラットな心持ちで見続けようと思います。
思いますが、いまのところ藤丸君あまっちょろくてあまり好きではないなぁ
最後にぼやき
個人的にはなぁ、あんまり主人公にピュアな印象なくて、割とクレバーでかるい一面もありつつ、人付き合いがサラッとッしているというか、ドライなところがある印象なんですよねぇ。
それこそ、普段はにこにこしつつ、いざというときは舌を噛んででも成すべきことを成す「英霊剣豪七番勝負」の主人公がイメージ通りなのよね。
ただまぁ、これについては、
主人公はどんなキャラか、ということ以上に
私がどんなキャラクタが好きか、
という情報に引っ張られている気がするので、ぼやきていどで終わらせようと思います。
藤丸君以外はみんな好きだし。
何より来週は金星の女神、さらに次の週は太陽の女神と
かなり陽属性のキャラクターが2回連続で投入されますので
アニメの色もかなり変わってくるんじゃないかな
ぜひともこの「ゴルゴーンに勝てなくね?」っていう重い空気を吹き飛ばしてほしいですね!