最初の頃は楽しんでみていたバビロニアなんですけど・・・
8話でちょっと主人公周りの書き方に違和感というか、彼周りの改変にに不満があったんですよね。
別に主人公をヒロイックに改変するのは構わんのですけど、ただでさえサーバント戦闘中は立香手持無沙汰になりがちなのに、彼のために戦っているサーバントの行為を無にするような挙動が目立って最近はあまり乗れていないんです
今回のVSケツァルコアトル戦もかなり解釈を変えてきて、
そのうえで8話に引き続き棒立ちのシーンが目立ち、折角のテンポのよいバトルシーンに不協和音を出させていてもったいない感じでした。
ゲームでは、ピエドラデルソルの破壊方法について協議。
ケツァルコアトルの不在時に強襲をかけるか検討するも、時間の制約から却下。
ケツァルコアトルと直接対決をするも、ケツァルコアトルの真意は人類根絶ではなく、人類に覚悟を見たかった。
ということに気付き、ピエドラデルソルの破壊から方向転換し、主人公がプロレスで直接対決する。
と言ったものから、協議について全削除
その代わり、王が若いころにエルキドゥと戦った回想から始まっています。
一つずつ見ていきます。
目次
王の回想
回想というよりも走馬燈なんでしょうかね。
在りし日の思い出を懐かしむのは死亡フラグ
VSドゥ戦の画面構成を5話のVSグゥ戦とそろえているのはエモいですね。
え?これ構図同じだよね……?え?
— Cornflower/鈴碧 (@corn_main) 2019年12月14日
無理なんですけど#バビロニア pic.twitter.com/EnEtMsJvkq
また、ウルクで衰弱死が流行っている説明をすっ飛ばしているので、そこの前振りとしても機能しています。
ピエドラデルソル破壊作戦会議
逆にこれはアニメにはないシーン。
ケッアルコアトルの不在を狙ってピエドラデルソルの破壊を目論むも、進軍の遅れで噛み合わず、次の不在を狙うか検討するシーンですね。
アニメではケッアルコアトルが投げた武器でピエドラデルソル改めアステックレコードを破壊しようとしますが、ゲームではジャガーマンからスペア武器を貸与されています。
てかアステックレコードってなんやねん!
ゲームではしっかりピエドラデルソルについて説明していた上での言い換え表現でしかないのに
例えば、エクスカリバーと言う単語がある上で、選定の剣と言い換えたり、それは文章のテクニックでしかないのですよ。
なんでそこまでかたくなに神話関連の単語を使いたがらないかな…
さておきまぁ下の選択選ぶよね。
照れ顔可愛い。
VSケッアルコアトル戦
マルドゥークの斧のサイズに驚く下りは同じ。
アニメでは最初のシーンをカットしたので、
ケッアルコアトルが戦いたいので戦うといった感じで動機が簡略化されてしまいましたが、
ゲームでは彼女が何を求めて主人公たちと対峙しているのか、会話のなかで匂わせています。
勝つために手段を選ばないのか
そうではない、彼女は主人公がなぜ彼女と対峙しているのか、するのかを問うています。
戦いは楽しい。しかし、自ら仕掛けているのではなく、
正々堂々と挑んできた勝負を受けてたつのです。
その違いは大きい
そして、試練であり、対立ではない。
当然。戦いたいから戦うわけでもない。
アニメは細かいニュアンスをざっくりとさせ過ぎだと思うんです。
意図は伝わるけど、大事なところが抜け落ちてないかな。
ただ、ケツァルコアトルの同意を拒否する際にジウストラのアドバイスを使わなかったのは良改変かなと
ゲームをした当時は特になにも感じなかったけど、今考えるとそれだとジウストラの助言にしたがっただけで本心でそう思っているかは別だよね。
で、まぁ戦闘が始まるわけですが、
相変わらずゲームではさくさくとミッションに邁進する主人公ですが
アニメの立香は相変わらずぐずぐずだらだらしている。
何よりも獲物なしでどうやってピエドラデルソルを壊すつもりだったのか。
ゲームではジャガーマンからスペアの武器をもらうけど、アニメではケツァルコアトルが放り投げた獲物を手に取るわけで、ケツァルコアトルがハンデで武器を投げなかったらどうするつもりだったんでしょう。
そしてさっさと上ればいいのにまた棒立ちです。
せめて動きをつけてほしい
バトルシーンは良いんだけどなぁ。
ケツァルコアトル動きに躍動感がありすぎてどんなポーズなのかよくわからない
まぁそうは言いつつここでも戦力の暫時投入を行って無駄に疲弊しているのですが
ゲームでは主人公はてきぱき動いてるからね、波状攻撃で時間を稼ぐのは正解なのだけど、アニメでは途中まで主人公突っ立ってるだけなので犠牲が本当に無駄になってます。
そして、ケツァルコアトルの対立の本質がアニメではぼやかされているので、主人公がピエドラデルソルを破壊しなかった下りも本質がずれてしまっている気がします。
いやまぁプロレス技を仕掛けようと言う発想の時点でおかしいと言うのも確かなんだけどね
「魂の真っ向勝負だ」とタンカ切ったらケツァルコアトルに高さが足りないと煽られ
イシュタルのマアンナの手助けを受けながら「これが人間の覚悟だー」とか叫びながらただダイブするだけよかましだと思うんだ。
そう言うことではないと思うの。
高さが足りないとか勇気がどうのとかではなくて、ケツァルコアトルの思惑がカルデアとずれていることに主人公が気付き、正しい選択をすることが大事なのであって、高さはイシュタルの悪ふざけなんですよ
そして、モノローグならまだしも全部主人公に喋らせてしまうのは演出としてしょっぱいよ。
ロマニにあえて憎まれ役をやらせたのもチョッとひどい。今さらミスリードとかいらんでしょ。
正直ピエドラデルソルをはかいしたところで主人公側のサーバントは戦闘続行不可能なわけで
ピエドラデルソルを破壊して弱体化したケツァルコアトルと対峙するのと、ケツァルコアトルの説得にチャレンジするのとどちらが危険が少ないか。
ほかの特異点でだって、自分の命を掛け金に部の悪いかけを何度もしてきたはずなので今さらこういうことをロマニに言わせるのはナンセンスです。
それもこれも、ケツァルコアトルの善性に言及する下記のエピソードを切り捨てたからなんですよね。
切り捨てるエピソードの取捨選択があまりうまくないなぁ…
エレシュキガルの寄る会話も今回でラスト。
ゲームの方がポンコツ感が出てて好きです。
せっかくだから長尺で見たかったですがほぼカットだったなぁ。
まぁ、圧縮されるとしたら此処でしょうね。
残念ですけど、仕方がない。
最後はギルガメッシュが死んだことをシドゥリに告げられるシーンで終了
閉めかたは良かったと思います。
問題は12話の冒頭でこの下りをやるかどうか。
割りと重要なシーンだとは思うし、王のノリにノリノリでついていくシドゥリも可愛いのですが、
アニメスタッフが極端なまでにメインキャラにギャグをやらせることを拒んでいるのと、衰弱死関係のエピソードをカットしているので無くなりそうかなぁ。
と言うことで11話でした。
現状特に戦闘時の主人公の挙動がもうちょっとなんとかならんかと言う思いが強いです。
しかしこの棒立ちのまま最後までいくんだろうな。
とりあえず比較的記事はもうチョッと続けていく予定ですが、あまりにもネガティブな感想が増えるようならそこまでかなぁ。。。